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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2008-09-05-Friday ガダラの豚

中島らもの小説「ガダラの豚」が面白い。

以前にもこの小説の事はブログで触れたことがあるが、改めて紹介したいと思う。

中島らもは2004年7月に亡くなっている。この小説は1993年に出版された古いものだが、「奇術」というキーワードで古書を検索していて見つけたものだ。三巻からなる長編であるが長さを感じさせない面白さである。まだ読んでいない方には一読をお勧めする。

私はこの世の中には現代科学だけでは説明出来ない「何か」が存在すると思っている。しかし、テレビ番組などで面白可笑しく紹介されているスピリチュアルものには疑問を感じている。特に怪しげな占い師を見ていると気分が悪くなってくる。私が趣味にしているマジックには、どうとでも取れる様なあいまいな質問をして観客を巧みに誘導し、あたかも予言していたかのように見せる技法が存在するのだ。

この技法を占い師やスピリチュアルを商売にしている人間や果ては詐欺師等が活用しているのである。エンターテインメントであるマジックを犯罪に使われたのではマジシャンの一人としては気分が悪い。

例をあげると占い師が「貴方のお父さんは死んでいませんね?」と客に問いかけるのである。この質問は「死んでいない(生きている)」という意味と「死んで(この世に)居ない」という逆の意味の両方に取れるのである。当たると評判の占い師にはたいてい威厳がある(そう見える様に演出するのだが)。その威厳のある態度で前記の問い掛けをされたら、客は勝手に自分の境遇に当てはめてみて、当たっている方に取ってしまうのである。ところが威厳の無い占い師だとテレビのCMに出て来る様な、まるで当たらない占い師ということになるのだ。いずれの場合も客の心の持ちようひとつなのである。

客の気持ちを信じる方向に誘導するには、威厳を演出する舞台装置が必要だ。大げさな建物や派手な衣装などがこれに当たる。演者(占い師等)がカジュアルな服装で普通の家で同じ事をやったら、引っ掛かる人間の数がグンと減ってしまうのである。

よく「催眠術はバカにはかからない」とか「マジックは集中力の無い人に見破られ易い」と言うが、これも真実である。人間の本能は衆目の一致する方向を注視する傾向があり、それを巧みに逆のことをして不思議に見せるのがマジックなのである。つまり、例えばタネを持っている右手とは逆の左手方向に客の視線を集めるようにしているのである。集中力の無い人は皆が見ている左手には視線を移さずに、ボ〜ッとして右手を見ることがある。その時にタネが判ってしまうのである。

だから騙すには集中力のある頭が良い人の方が騙しやすいのである。しかも頭の良い人というのはプライドが高いから、自分が騙されたとは思いたくないのである。マジックなら腹を立てるだけだが、スピリチュアル的なものなら証明の仕様がないからドンドンのめりこんでいくのである。かのオウム真理教の信者にも大学を優秀な成績で卒業した知的エリートであるインテリ達が多かったではないか。自分は頭が良いと自負しているインテリというのは理解不能な不思議現象に出会うと、それを認めたくないという心理が働き、これは「科学の範疇を超えた存在なのだ」と自分に言い聞かせることで心の平静を保とうとする。

最初は半信半疑であっても、人間というのは一旦信じ込んでしまうと、今度はドンドンと深入りしてしまうものだ。信じた自分という存在を否定したくないからだ。こうなると厄介なことになるのである。もっとマジックの基本原理を社会に広める必要があるのかもしれない。