ここ最近、麻生首相の批判記事やニュース解説が増えた。やれ失言だの、漢字が読めないだの、リーダーシップが無いだのと散々である。
何だか、森首相の時の「鮫の脳みそ」と言われた時に似ている。こうなると何をやっても、何を言っても全て無駄である。言えば言うほど泥沼に引きずり込まれてしまう。首相の言動にも確かに問題は多いと感じるが、小泉首相だって負けず劣らず失言は多かった。
「人生色々」発言なんて今の麻生首相が言ったら収拾が着かなくなるのは目に見えているのに、小泉首相の時は笑って許してもらえた。
一体何が違うというのだろう。
マスコミが叩くのは国民に人気が無いと分かった時である。さすがのマスコミも国民に人気がある人間を叩くのには勇気がいる。逆に叩いたマスコミが国民から非難されるからだ。
だから国民とマスコミが一緒になって叩ける人間を叩いては悦に入っているのだ。
これは国をあげてのイジメである。
国民やマスコミがこぞってイジメをやっている国なのだから、子供達もイジメを正当化してしまうのではなかろうか?
だからだろうか、マスコミが子供達のイジメを糾弾するような報道には何だか偽善の匂いがしてしまう。
どうやら、イジメられる人間にはイジメられやすいキャラクターがあるように思う。
だがこのキャラクターとは一体何なのだろう?
持って生まれたモノなのか?それとも後天的に作ったモノなのか?
最近の本屋に並んでいるベストセラー本には、他人に愛されるキャラクターの作り方みたいな軽薄な内容のものが多い。もっと内面を磨くことが重要なのだと思う。内面が滲み出て来てキャラクターになるのでなくては本当のキャラクターとは言えない。お笑いタレントが営業用に作り出す安易なキャラクターと混同してはいけないのだ。
所詮、マスコミも国民も表層しか見ていないから、こんな奴等がもてはやされるのだ。