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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2008-12-29-Monday 伯母

札幌の伯母が亡くなった。

28日の午後8時過ぎに札幌の伯母が亡くなったという知らせを聞いた。享年92歳であった。

先週21日の日曜日に容態がおもわしくないとの連絡を従兄弟からもらって、母と二人で札幌に駆けつけたのだった。

入院した病院に行くと、意識はしっかりしていて、私の髭を生やした顔を見るのは初めてなのに私の顔を見てちゃんと「かずあきちゃん」と声に出して言ってくれたのである。もし元気だったらさしずめ「その汚い髭はサッサと剃りなさい!」と一喝されたところではないだろうか?

従兄弟の奥さんが「おばあちゃん、誰か会いたい人は居ないかい?」と聞いたら「彼氏も居ないから」と冗談で返せるほどであったのだが・・・。

伯母には随分と世話になった。小学2年生の時から大学を卒業するまで、毎休み(春・夏・冬)私一人で札幌の伯母の家に汽車に乗って出掛けて行ってはこずかいをせびり、札幌のデパートの手品売り場に通っては道具を買っていたのである。

当時の伯母の住まいは三越デパートの1丁南側であったので、札幌駅を降りてから一番広い通りを南進すれば辿り着けるのである。だから駅まで迎えに来てもらう必要もなく、いつも帯広の自宅から「明日から行くからよろしくね!」という電話一本で出掛けていたのである。今考えると自分としては当たり前の事で何とも思わなかったのだが、小学2年生の小さな子が一人で汽車に乗って帯広から札幌まで4時間半の汽車旅行をするというのは乗換えが無いとはいえ、傍から見ていると不思議に思わなかったのであろうか?

はたして行動的だったのか、それとも親が放任主義だったのだろうか?

姉は一番最初の時(姉は3年生)こそ一緒だったが、その次からは行かなくなったし、妹や弟は全く行っていない。いつも私一人で親戚の家を訪ねては集金旅行をして歩いたのである。

伯父や伯母は商売をしていたから、どこかに連れて行ってくれるという訳ではない。私はこずかいをもらったら一人で札幌中のデパートやら商店や本屋を見て歩いては夕方に伯母の家に戻り一緒に夕食を食べて寝るというパターンであったのだ。

その後、街中の店はビル化して店舗だけにし、自宅を豊平川近くのマンションに引っ越したが、そこにも私一人で歩いて行ったものである。

伯母は北九州から嫁に来た。とにかく伯父にトコトン惚れてしまったようで、当時としてはとても情熱的な人である。戦争中は札幌から疎開して帯広にも何年か住んでいた。終戦後も店がGHQに接収されてしばらく札幌には帰れなかったと聞く。

祖母とは折り合いがあまり良好ではなかったようである。二人とも情熱的な人だから感情がぶつかりあったのかもしれない。

それでも、私は随分とかわいがってもらったものだ。

すでに父の関係の男は全て死に絶え、伯母の死で妻も残っているのは家の母だけとなってしまった。自分も年を取っていっているのだが親類が亡くなるというのは寂しいものである。合掌