何だかとても物足りない気がしてしょうがない。
バニーはあまりにもお利口さんで、全く私たち夫婦の手を煩わせないからなんだかつまらないのである。
サニーのウンチの臭いと吠える声で強制的に起こされていた毎日が嘘の様である。
バニーは散歩の時以外は、家の中ではウンチもオシッコもしないから、オシッコシーツも全く減らないのだ。
バニーは家の中でもおとなしく坐っているだけなので、常にバタバタ、ワンワンと動き回ってうるさかったサニーがいないだけでとても静かな家なのである。母が食事をしに我が家に来る時も、サニーが吠えてうるさかったのに、バニーは母が帰るまでおとなしく待っている。
私がサニーを撫でてやると、それを見たバニーが嫉妬して私とサニーの間に割って入ってきたものだ、サニーの具合が悪い時も私がサニーにバナナやアイスキャンディを与えると、バニーが横からサッと奪っていったのだが、サニーがいなくなるとそれもしなくなったので、バニーも何だか物足りなさそうである。
果たしてバニーはサニーが死んだことを理解しているのだろうか?
バニーもなんだか張り合いを失くしているように感じる。このままではバニーはボケてしまうのではと少々心配である。
16日は私達夫婦の24回目の結婚記念日であったが、サニーの看病ですっかり忘れていたし、妻が献身的な介護を続けた為に、精神的にも体力的にもかなりガックリきているので、励ます為に23日に夫婦で食事と映画に行ってきた。
グラントリノというクリント・イーストウッド監督主演の映画である。イーストウッドは最近実に良い映画を作っている。この映画にも白っぽい(正式にはイエローという表記なのであるが、私にはどうしても黄色には見えない)ラブラドールのデイジーという老犬が出てくるが、この犬はおとなしすぎてサニーとは感じが違う。ラブラドールの本来の姿はきっとこの映画の中のデイジーのようなのだろう。
サニーは超問題児でもあったが、居なくなると問題児の方が可愛くさえ思えてくるから不思議なものだ。13年間、サニーに振り回され続けてきたが、サニーの居ない家はまるで火が消えたようである。おバカな犬だったがそれなりに存在価値はあったのだろう。生きていた頃のあの喧騒が懐かしい。