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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2009-05-28-Thursday 霊感商法と迷信

ニュース番組で霊感商法を告発した人のインタビューが放送されていた。

フ〜ン、まだこんな事に引っ掛かる人達がいるんだ!と驚いたが、この御仁は、元信者だというではないか。

元信者ということは新興宗教か?

はたしてマルチ商法(ネズミ講)のやり方を新興宗教が真似たのか、それとも新興宗教を隠れ蓑にしてマルチ商法が暗躍しているのか?判然としない。

私はマジック研究家として「詐欺師の手口」というのも研究しているが、詐欺師の言葉には「私はどんな人間だって騙すことが出来るが、唯一騙す事が出来ないのが欲のない人間だ。」とか「狡さのない人間は騙せない。」というのがある。

また、自分は特別な存在だと自惚れている社長や医者などの高学歴で高額所得者ほど騙しやすい人種はいないそうだ。強烈な自尊心と、それとは逆の選ばれし人間ではないかも知れないという恐怖や不安に弄ばれて、精神的には安定していないから一寸心のツボを刺激してやるとものの見事に引っ掛かるそうだ。

騙されるのは、自分で何とか道を切り拓こうという努力をせずに「楽して儲けてやろう」とか「神仏に頼って何とかしてもらおう」という甘くてズルイ考えをを持っている人が多いようである。

迷信や言い伝えが全て悪い訳ではない。それらには何等かの理由が存在するケースが多い。困るのは自分自身の確たる考えが無く、それらにただ振り回されることだ。

更に困ることは、それらを信じ込んだ人が他人を引き込むことだ。信じ込んだ人達は「良かれ」と思って他人に勧めるから始末に悪い。

ジンクスなどはまだ可愛いものだが、迷信を妄信するのは困りものだ。

先日の私のこのブログで、「犬が死んだので焼いて骨にしてから1週間後に庭に埋めてやろうと思う」と書いたら、「犬畜生を人間と同様に扱かって、しかも敷地内にお墓を作ると家族に災いをもたらすのだゾ!」と言う人がいる。

そう言われてしまえば、確かに嫌〜な感じがしてくるものだが、人間、生きていれば常に何等かの災難や不幸は訪れるものだ。もし、サニーの骨を庭に埋めた後に何かが起きて「ヤッパリ、庭にお墓を作ったからだよ」と言うのは、要は確率の問題と関連付けの問題なのだ。人間は何がしかの言い訳や後付けの理由を言いたがるものなのである。

だが、それでは逆にサニーに対して失礼だ。例え何か不幸な出来事が起きてもそれをサニーのせいにはしたくない。妻と話し合って「ペット霊園」に葬る事にした。その方が仲間も大勢いるからサニーも寂しくないだろう。

死後の世界というものを信じていないはずの自分が、こんな考え方をするのも可笑しな話だなぁと思いながら、これが人というものだろうとも考える。

サニーの死に接することによって、何だか哲学的なことを考えるようになってしまった。

これだもの「浜の真砂の尽きるとも、世に新興宗教のツケイル隙は尽きまじ」、人の心の弱さは無限にある訳だ。