この時期になると「先祖供養」という言葉がたくさん出てくる。さっきもテレビでキャスターが言っていたが、どうも「供養」という言葉に引っ掛かりを感じるのだ。
ご先祖さまは「供養」するものではなくて「感謝」するものだと思っているからだ。
よく「親は選べない」と言うが、まさしく子供は親を選んで生まれては来れない。つまり、どのような親の家庭に生まれて来るかは運次第ということになる。しかし、ただの運として片付けてはしまえないとも思うのである。
先日、クレヨンしんちゃん(臼井儀人さんのご冥福を祈る)を原作とした実写版の映画「バラッド」を見てきて、息子とタイムマシンパラドックスの話をした「パパとママが出会って結婚して、そしてお前が生まれてきたというのは、天文学的なスケールのすごい確率で奇跡的なことなんだぞ」という話をした。そういう私も、ご先祖さまの誰かが、気紛れでもし違う人を伴侶にしていたら、この世には生まれていないのであると考えたら、ご先祖さまは供養するというよりも感謝すべき対象ではないかと思うのである。
どうも「供養」というと、良からぬ新興宗教が「先祖を供養しなければバチが当たる」とか「先祖が祟っている」とか言って金を巻き上げるイメージが湧いてくる。
もしも、ご先祖さまの霊というものが本当にあったとしても、そもそも何処の世界に「子孫に祟る先祖」など居るものか!
自分の子孫が繁栄したり、幸せになってくれと願うのが本来であろう。子孫の不幸を願うような先祖などいるはずがない。でも反対に先祖を恨む子孫は居るかもしれないが・・・。
それを、「先祖を供養しなければ祟る」などという新興宗教は信じる気にはなれない。そんなインチキ新興宗教に先祖供養と称して1000万円も払った人が帯広にも居ると聞く。そういう人は現世において、何か後ろめたいことをしているから、脅されるとつぃつい払ってしまうのだろうなぁ〜。やはり、日頃から、ご先祖さまに「私をこの世に生み出して下さってありがとうございました」と感謝の気持ちを持たなければならないと思うのである。ゆめゆめご先祖さまを恨むようなことはしてはいけない。