学生時代に通った寄席で何度か生の円楽を聞いたことがあるが、その時は一度も面白いとは思わなかった。むしろ師匠の円生の方が好きだったのだ。
聞く方の年が若過ぎて、人情話の良さがまだ理解出来ていなかったからである。
円生が真打昇進問題で、落語協会を脱退した時に一緒に円生一門が抜けた。この時の騒動は落語好きな人間にとっては大きな事件であった。円生と共に、好きな落語家だった立川談志や古今亭志ん朝も抜けたからである。その後すぐに志ん朝は説得されて協会に戻り、談志は立川流を起こし、円生一門の一番弟子であった円楽は、自費で若竹会館を造って意志を貫いた。この事件から、円楽のことを好きになったのだ。
男の美学を感じたからだ。男の意地を通すことはきっと辛かったに違いない。騒動の翌年に師匠の円生が亡くなった時が戻るチャンスであったが、この機会を逸してしまった。かなり意地っ張りな性格なんだろうなぁ。
落語は寄席あっての芸である。席亭に睨まれ、弟子達も寄席に出ることが出来ないから、自ら発表の場を造ったのだ。若竹会館は後に止めてしまうことになるが、この時の経営の苦労で、落語に専心できなかったことが悔やまれると語っていたから、これで心身を痛めてしまったのだろうと思う。
晩年は病気がちで、再起を賭けた「芝浜」が上手く演れなかったと、スッパリ引退を表明して、笑点の司会も降り、存命中に「(六代目)円楽」を弟子の楽太郎に襲名(来年3月に)させることも決めていた。引き際の美学を貫いた粋な芸人であったと思う。
今年9月13日に円楽の弟子で駒大の同窓でもある貴楽と王楽を帯広に招いて落語会を催した。これも何かの縁であろうと思う。
好きな落語家が若くしてどんどん亡くなってしまっている。落語会に新しいスターが誕生することを願っている。合掌