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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2010-01-16-Saturday 就農祝賀会

14日18:30〜

帯広のベルクラシックを会場にして、小畑拓君の新規就農祝賀会が催されたので出席してきた。

昨年末に招待状が送られてきた時には、何故、私が招待されたのか、よく判らなかったというよりも、いきさつをすっかり忘れていたのである。

そのすぐ後に配られた帯広市の広報誌の新年号に小畑くん夫妻が2人の子供を抱いて砂川市長と対談しているのを見て、あぁ、そうか彼もようやく夢が叶って農家になることが出来たんだ!と理解した。アレッ、でもいつ結婚したんだ?しかもいつの間にか子供が2人も出来ている。な〜んだ。やることは、ちゃんとやっていたんだなぁ〜。

小畑拓君は神戸市出身の30歳の若者で、小さい時から農家になることを目標にして生きてきて、大学も帯広畜産大学に学んだ意志のしっかりした青年である。

2004年に突然私を訪ねて来て(何故、私を訪ねて来たのか、未だに思い出せないでいる。)、将来は十勝で農業を志しているというので、当座の職業の世話と、北の屋台の「夕焼け市」で知り合った、やはり関西から移住して有機農法をやっている薮田秀行さんの家まで彼を同行して紹介してあげたのである。

その後、私が所有する畑を貸してあげて、そこで独自に農業の実践をしていたのだが、しかし、やはり独学では農業をするのは難しかったようで、2008年から帯広市の農業技術研修センターで学び、農業実践塾でも学んで、今回、晴れて農業者として帯広市愛国町で農地を取得して農業を始めることができることになったのだ。

と、ここまでが、薮田さんが挨拶の中で、私を紹介したいから立ってくれと言われて紹介された中身である。私はほとんどいきさつを忘れていたので、そういえばそんな事があったなぁ〜と思い出したのであった。

愛国地域として移住者が農業を始めるのは彼が3人目(薮田さん・吉田さんに続いて)となる。

人口が減っている帯広市において、ましてや後継者が少ない農業をやってくれるのは大助かりであろう。

この式には知り合いが、随分と大勢参加していたので驚いた。なにせ、乾杯の音頭をとったのが、妻の叔父の水戸部洋二さんだったので、お互いに、エッなんでここに居るの?という感じだったのだ。水戸部さんはおびひろ農業塾の塾長をされていたのだ。私の隣の席に坐ったのは、スノーフィールドカフェ(冬の間だけ行ったビニールハウスのレストラン事業)の地主である井上さんだったのだ。スノーフィールドカフェは、主に北の屋台をやったメンバーが「地遊舎」という会社を作っておこなった事業であるが、私が地遊舎を抜けた2007年以後は08年に一度やったでけで、その後、ビニールハウスは放置され、ビニールもはがれた状態のままだと言っていた。

何だか、地遊舎はキチンとした形で終了させていない様で、井上さんにはご迷惑をお掛けしたようである。地遊舎の連中はこの辺が責任感の欠如というか、やりっぱなしというか、イケナイところである。

井上さんは「坂本さんとなら、また違う形でやりたいなぁ〜、やろうよ!」と言ってくださったのがせめてもの救いである。

その他にも、知り合いの方々が大勢居てビックリした。世間というのは実に狭いものである。小畑君もこれだけ多くの方々の支援を受けて就農することができたのだろうから、人の縁というものを大切にして、感謝の気持ちで生きていってほしいものである。

小畑君夫婦はまだ結婚式を挙げていないそうだから、落ち着いたらまた祝福してあげよう。