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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2010-01-17-Sunday 同窓会

母校柏葉高校同窓会の

新年交礼会が16日(土)の18:30〜北海道ホテルで開催されたので妻と二人で出掛けた。

今年の担当期は8期と31期である。近年の参加者数は650名を越えているので会場がとても狭く感じる。私達26期は私達夫婦2人を含めて9名が参加した。同級生同士で結婚したカップルが結構いるのに夫婦で参加する人たちは極めて少ないのだ。

セレモニーの中で叙勲者の紹介が行われるのだが、最後に去年紫綬褒章を受章した20期卒業の中島みゆきさんの名前が呼ばれたときには一瞬会場がどよめいた、皆、本人が来ているのではないかと思ったのだろう。中島みゆきさんは柏葉高校時代に同級生からイジメられていたらしく、柏葉高校が嫌いだとのことだから、来ることはないだろうとは思っていたが・・・。

年々、映像を取り入れるなど進行はスマートになってきていると感じた。挨拶も以前よりは短めになってきているから前半は良かった。後半の大抽選会は今年は当たらなかった(去年はコーヒーカップ一個が当たったのに)。

食べるものも人数分は用意していないから、少なめではあるが、逆に余さないから、これくらいが丁度良い。お腹が空いたら、二次会で街に出れば良いのである。ということで、26期は居酒屋で二次会を行うことになった。26期の参加者で女性は妻一人だけだったので、妻は帰宅し、仕事があるとのことでもう1名が帰って、7人で街中の居酒屋に行ったのである。

酒が進んだところで誰彼言うとなく「坂本はなんで北の屋台を辞めたんだ?」、「坂本は、普段から口数が少ないが、北の屋台の一件に関しては、全くお前からの話は聞いたことがないゾ」と言うから、「俺が、口を開いて真相を話せば、北の屋台の店主たちの営業に悪影響を与える可能性がある。俺は北の屋台が我が子の様に可愛いから北の屋台が営業をしている間は話したくないんだ」と言ったら、「辞めてから3年にもなるんだからもういいだろう?話せよ!」、「話さなければ勝手な憶測を生むだけだゾ」と言うのである。同級生の気安さもあり、酒もかなり入っていたので珍しくポツポツと真相を語ったのである。

すると、「それは俺が聞いている北の屋台の組合の連中の話とは、全く違う話だな。俺は、坂本が組合の運営で事務所の家賃なんかで勝手な事をやっているから辞めさせたと聞いているゾ。いったいどちらが正しいんだ?」というのである。つまり、私が自分のビルに入居していた組合の家賃を勝手に増額したというのである。

どうやら、私が北の屋台可愛さで口を開かないのをよいことに、無いこと無いこと(有ること無いことではない)話をしているようだ。

そもそも、家賃を上げたのは彼等が理事会で「上げろ」と発言したからであって、当然ながら理事会での承認事項である。私が勝手に増額したわけではない(第一そんなことが勝手に出来る訳がないではないか)。

もともと、北の屋台の前身である「十勝環境ラボラトリー」を作った96年当時からズ〜ッと事務所は無料で貸していたし、2人いる事務員の内の1名の給料は私が払っていたのである。

北の屋台が2期目になって少しは利益があがるようになってきたから、「少しは家賃を払うよ」「事務員も組合で給料を払うよ」、ということになって、私の負担はようやく軽減され始めたのである。

それでも、私は依然として無給で働いていたし、自腹を切ることはあっても自分の懐を暖めるような行為はしたことがない。

利益があがり始めたとは言っても、単年度の会計だけであって、総体的にはまだまだ赤字状態だった。一番最初に屋台出店者から預かっている保証金の2000万円(100万円×20軒)は屋台事業を終了する時点で店主に返還しなくてはならないからだ。この2000万円分を貯めて初めて総体的な黒字になるのである。地主さんから土地を借りた期限は6年半(2001年6月1日〜2007年11月末日まで)だったから、この期限内に2000万円を積み立てて黒字にしなければ、銀行からの融資に際して私が押している連帯保証人の印鑑によって、借金は全て私に掛ってくるのである。だからこそ私は無償で働いてきたのだ。

それなのに、途中から自分の旅行会社を潰してしまったK専務理事(当時は理事長)が生活に困って、「北の屋台の専属になって給料をもらいたい」と言い出したのである。私は当然反対した。しかし、SとTが「仲間なんだから助けてやれよ!」ということで理事会で決定してしまったのだ(この一件をみても理事会が私の自由になんかならないことは明白だろう)。

給料も最初から破格の月額40万円である。何一つ仕事らしい仕事もせずに昼間からパチンコ屋に行っている人間にである。しかも、彼はすぐ後に組合の金庫から十数万円を着服した。

理事会でその対応を協議したら、Sが「金を着服したのは給料が少ないからだ。もっと給料を上げてやれ!」と信じられないことを言い出したのだ。結局、Kはこの一件で理事長職から専務理事職に降格されただけで、逆に給料は50万円に昇給することになった。こんな無茶苦茶な決定があるだろうか?悪事を働いて昇給するなら誰も真面目に働く人間など居なくなってしまう。こういう仲間内のナァナァなことがモラルを低下させるということも理解していないのである。

結局、最初の土地の賃貸借契約期間の6年半では保証金の返還資金は600万円しか作ることが出来なかったのである(計算してみてもらいたいKに支払った給料分は月50万円×30ヶ月=1500万円が出来たのである)。

結局、私が辞める前に地主さんに交渉して10年間の期間延長が出来たから、北の屋台事業は6年半では終了しなかったので、保証金の返還金は10年間先延ばしができたので、後10年で1400万円を積み立てれば良くなったのだが・・・(噂によると600万円は既に使ってしまったらしいが・・・)。

これまで私が胸の内に収めてきたことを白日のもとにすることには躊躇していたが、私が黙っていることをいいことにして彼等が適当な話を創り出していくことによって、事情を詳しく知らない人は、それを真実だと錯覚してしまうという怖さを実感した。

だからこのブログで、私が辞めることになった顛末を正確に伝えることにした。この記述で不快感を覚える方や批判される方もいるだろうが真実はやはり伝えていかなければいけないと実感したのである。

これまで格好つけて、「男は黙ってサッポロビール」が男の矜持だと考えていた。話さなくても解ってくれていると思っていたのだ、だがやはり、正しいことでも話をしなければ伝わらないものだ。

同級生に話したところ、私のこれまでの生き方を知っている連中だから、すぐに解ってくれた。

やはりこれからはキチンと真実を伝えることが私の説明責任ではないかと実感したのである。