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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2010-01-23-Saturday 鹿児島の後輩

2月に鹿児島に行くことになったので、

鹿児島在住の大学の後輩に久し振りに会って話がしたいと思い連絡先を調べたが判らない。

彼は大学の「手品奇術研究会」の一年後輩で、鹿児島から上京していた。学生時代からチョット抜けた面白い奴だった。

大学4年生の時に単位不足で留年して、怒った親から仕送りを止められ、退学の危機に陥った。この単位不足というのが、そもそも笑わせる(笑っちゃ〜悪いと思いながらも・・・)のだ。

必修科目を落として留年するというのならまだ理解できる。だが、彼は選択科目を卒業ギリギリの授業しか受けていなくて、その内の1単位を落として留年したのだ、必修科目は全部習得したのにである。普通の人間なら、4年生なんだから、受講するしないは別にしても余裕を持って目一杯多目に受講しておくものだろうに・・・。まぁ、何というか、そういうところに気が回らないタイプなのである。

学費が払えなくなった彼は、私に泣き付いてきた。たった1科目で卒業出来ないというのも何だか不憫に感じたので、私の会社で雇って、大学を卒業させてあげることにした。

その方法とはこうである。選択科目を取れるにいいだけ目一杯受講する。夏と冬の試験の時だけ上京して受講した全部の科目の試験を受ける。そうすれば1科目ぐらいなら「可」をくれる教授もいるだろうという作戦である。必修科目ならこの作戦は不可能だが、彼が落としたのは選択科目が1科目だけなのであるから、無事卒業することができたのである。

彼は、私の自宅の向かいにある下宿屋に住んで、食事の出ない土日は我が家で夕食を食べさせて生活費を節約させた。なにせ大学の学費と上京する旅費と生活費を稼がねばならないのだ。

無事に大学を卒業した後も、十勝が気に入って3年ほど我が社に務めていたが、長男ということもあって鹿児島に戻ったのだ。

彼の結婚式には、私達夫婦が長女を連れて出席もした。しばらくは手紙のやり取りが続いていたのだが、10年ほど前に年賀状が住所不明で戻って来て以来、音信不通になってしまったのだ。大学のクラブの連中とも音信不通で、まったく連絡先が判らない。

彼は帯広に住んでいた4年間ほどの期間に、数多くのエピソードを残して去っていった。

彼とはよく一緒に飲み歩いたものだが、ある時、飲みに行くと約束していた店に、急用(手品の講習を急に頼まれた、彼もマジッククラブなので一緒に連れて行った)が出来て飲みに行けなくなったのだ(今みたいに携帯電話なんてものがないから)、直接、彼に店に行って伝えてもらうことにした。その店はドーナツ屋の2階にあった。我が家から2人で私が運転する車に乗って、(進行方向が逆だったので)ドーナツ屋の向かい側の道路に車を停めて、彼に横断歩道を渡って伝えに行ってもらったのだ。

彼が店に伝言を伝えに行っている間に、カップルが車でドーナツ屋に横付けし、助手席の女性がドーナツを買いに店の中に入ったのと入れ替わりに彼が降りてきた。私が反対側の道路からドーナツ屋側を眺めていると、戻って来た彼が、ドーナツ屋の前に停めていたカップルの車に乗り込んだのだ、いきなり人相の悪い、知らない男が車に乗り込んで来たのだから、乗り込まれた運転手はさぞ驚いたことだろう。恐怖のあまりヒキツッタ顔をしてジット固まっていた。

彼は何故、私が車を発車しないのだろうかというような顔をして、運転手の顔を見た、当然、私ではないから慌てて車を飛び降りたのだ。その間2〜3秒ぐらいの出来事である。反対車線から眺めていた私は、可笑しくて、可笑しくて、笑いが止まらなかった。同じ車種というならまだ間違えるのも判るが、まったく違う車種なのに、普通、間違えるだろうか?

九州生まれの彼に、スキーを教えた。

私が昔使っていたスキー道具一式をプレゼントしたのである。何度か会社が休みの日に私の車に乗せてスキーに連れて行ったら、彼はすっかりスキーが好きになった。私は毎休みにスキーに行ける訳ではない。休みの日には別の仕事が入ることもあるのだ。冬の会社が休みの日には彼はすることがない。スキーに行きたくても車がないのだ。

広大な十勝では何等かのモーター付きの「足」が無いと生活が出来ないから、彼には私が使っていた原付バイクをプレゼントしていたのだが、彼は夏タイヤの原付バイクでスキー板をロープで自分の背中に括った状態で運転し、30kmも離れたスキー場に1人で通ったのである。随分と無茶なことをする奴だ。

一緒にやっていた朝野球でも、負け試合が濃厚な状況なのに、彼が1塁から2アウトで盗塁を試みて左肩を脱臼したこともあった。状況判断が的確にできない奴であった。その他も可笑しなエピソードには事欠かないが・・・。

誰か、読者の方で、こんな鹿児島出身の四元正一という男の連絡先を知っている方はご連絡下さい。