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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2010-02-05-Friday 理系と文系

年なのか夜中にトイレに起きることが増えた。

今朝(真夜中かな?)も3時半に目が覚めてトイレに立った。昨日に続いて(−22.4℃)今朝もモーレツな寒さでスッカリ身体が冷え込んでしまい、今度は眠れなくなってしまった。1時間ほどあれこれ考え事をしている内に再び眠りに入ったが、二度寝するとオカシナ夢を見る。

今朝は高校生時代の夢を見た。

朝起きてから、何故、高校時代の夢を見たのかひとしきり考えていて、面白い結論に到達した。学校の教科の好き嫌いはイコール教師の好き嫌いに直結していたなぁと・・・。

私が入学した「北海道立帯広柏葉高等学校」は一応、十勝一番の進学校であったから、中学生時代の成績がある程度良くなければ受験させてもらえない高校であった。すなわち5教科(国語・数学・理科・社会・英語)満遍なく点数を取れなければ合格できない。だから中学生時代には不得手な教科などはなかったのだ。

高校に入学した一番最初の「数Ⅰ」の試験で30点という点数を取って衝撃を受けた。中学の数学が大好きだったからだ。

私たちの学年から(1学年上だった姉はこの授業を受けていない)導入された「集合」「交わり」「結び」なんていうものや「因数分解」や「図形の証明」なんていう論理的なものが得意だったからである。

ところが、高校の数Ⅰでいきなり「sine(サイン) cosine(コサイン) tangent(タンジェント)」の三角関数の試験で生まれて初めての赤点を取ったのである。大ショックであった。この時の試験はクラスの6割以上が赤点という難しい試験であったが・・・。

私は一遍に数学が嫌いになった「建築家や科学者になるわけじゃなし、私の人生に於いて、今後、三角関数などは使うことは無い」と決めつけて、以後3年間、数学の教科書を開いたこともない(どうしてそれで高校を卒業出来たのかは後日ゆっくり語ることとしてここでは触れないことにしておこう)。

私は昔から、自分の好きなことなら寝食を忘れて没頭するのだが、嫌いとなると一切見向きもしくなるという変な性格をしているのだ。

生徒がその教科を好きになるか、嫌いになるかは、教師によるところが大なのではないかと思う。この教師は数学の研究では有名な教師だったようであるが、生徒への教え方という点では実に判りづらい(私だけかな?)下手な教え方であった。

4年前にこの教師と酒を飲む機会があった時に、たっぷりと恨み節を話したら、最初の試験は、地域一番の進学校に入学して浮かれている生徒たちにいきなり難しい試験をして、ガツンとショックを与えて逆療法するつもりだったと言うのである。確かにこれで頑張らねばと思った生徒も居るだろうが、事実、私のように完全に諦めてしまった生徒もいるのだ。高校教師はもっと教育ということに重点をおいて、教科を好きにさせるような指導法を取っても良いのではないかその時改めて感じたのだ。

結局この教師に3年間数学を担当されたことが、私の数学嫌いの元になったのである。

また、私が通っていた当時の柏葉高校には、バリバリの○という教師がいたが、その一人が私のクラスの副担任になったのだ。

高校3年生の文化祭の時のことである。柏葉高校は進学校なのに学校行事がやたらと多い変な学校であった。この日も午前授業で、午後からは作業をしていたのだ。私はパレードの責任者であった。

パレードというのは、まず農家に行って馬車の荷台を借りてきて、その荷台に飾り物を造って乗せ、生徒は仮装をして帯広市中を練り歩くのである。私の時は「宝船と七福神」というテーマであったから、馬車の荷台に宝船を造って乗せ、七福神の仮装を7人にさせて、その他の生徒は浴衣を着てパレードをするのである。

私はこのパレードの責任者として、浴衣を市内の業者から借り受ける交渉をした。社長さんが父のやっていたデパートにテナントとして入居していた関係であっさりとOKをもらったのだが「ちゃんと洗濯して返却すること」という条件が付いたので、何とか安く洗濯出来る方法はないかと調べたら、帯広刑務所で洗濯するのが一番安いことが判ったので刑務所の担当官と交渉していたのである。

その担当官が高校に電話を掛けてきた時に、外で作業していた私を呼び出す校内放送をこの女教師がしたのだが、その放送内容は「3年B組の坂本和昭さん、刑務所から電話が入っていますので、至急職員室まで来て下さい」というものであった。

その日以来、事情を知らない連中からは「坂本、お前、何悪いことやったんだ?刑務所から電話なんて!」という話で持ち切りになったのだ。

これは、明らかに意図的に肝心な部分(浴衣の洗濯の件で)を省略し、若しくは不必要な部分(刑務所から)を付け加えた意地悪である。

彼女に抗議したが、「あらっ、刑務所から電話があったのは事実でしょ。事実を伝えて何が悪いの?」とへっちゃらな顔で言うのである。

私が彼女に何か悪いことでもやったのか?子どもは生まれてくる親を選ぶことはできない。私が坂本家に生まれてきたのは私の責任ではないのに・・・。

この教師はの労働者と資本家という対立構造をそのまま金科玉条にしているような人で、その後も何かにつけて随分と意地悪をされたものだった。

私が今日、理数系がダメで、文系になっているのは10代のこんな経験が尾を引いているのである。

学校の教師が生徒の進路に深く影響するという実例を紹介した。