«前の日記(■2010-03-17-Wednesday) 最新 次の日記(■2010-03-19-Friday)»
 | トップ |  | ビル概要 |  | テナント構成 |  | 沿革 |  | アクセス |

観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2010-03-18-Thursday まちづくり

まちづくりというのは、

全国各地で行われているが・・・。

十勝毎日新聞社の「論壇」欄に16日に掲載される予定で新聞社に提出していた私の原稿が、高校の合格者発表の日と重なったことで、1週間後にずれ込んで掲載されることになった。

今回の原稿は「広小路」についてのことを書いたのであるが、ちょうど、2,3日前の新聞に、広小路の改装案が載っていたので、今日の掲載であればタイミング的にはピッタリだったのだが、一週間ズレたことでややインパクトが薄くなるかもしれない。

私が言いたかったことを一言で言えば、まちづくりには「根本治癒」と「対処療法」の2種類があるということである。

これから書くことはあくまでも私見であることを断っておく。捉え方によっては傲岸不遜な物言いに聞こえるかもしれないが、ここであえて書いておきたいと思う。

「まちづくり」と称して活動する中には、実体は「まちづくり」ではなく「ゆるやかな自殺」とでも言うべき活動があると考えている。

「まち」が衰退した根本原因を探ることもなく、危機感から、闇雲に動き出してしまうことを、私はそう呼んでいる。

全国各地で失敗してきた事業のほとんどが、そういう経過を歩んできているのだ。

戦略や目的を持たない行動は、やがて「体力」も「気力」も萎えさせていくだけなのだ。本当に直さなければならない根本原因をそのままにしておいて、表面上の客足だけを、イベントを繰り返すことで維持しようという動きがまさにそれなのである。これをやる人達というのは危機感と正義感を持っているだけに、よけいに始末に終えないというのも全国共通なのである。

危機感を持っているだけに、その活動に参加する人達は皆熱心なのだ。

だが、根本原因を治癒せずにカンフル剤を打ち続けても、商店街が復活することなどありえないから、活動はやがてジリ貧になっていき、その熱心な人達から疲れ果ててしまって、根本を直そうという時には、もう体力も気力も無くなっているというのが、衰退する商店街が歩む失敗のパターンなのである。

帯広の商店街も、根本原因を探ることなく、危機感から行動を起こしている。

初期の段階では、活動しないよりは、活動した方が客足の減少は多少は食い止められるかもしれない。しかし、活動に掛かる経費や人員の割には効果がないものだし、たとえ最初は効果があったとしてもやがて薄れてくるのも共通している。

時間がないから、活動しながら、考えるという意見は、一見すると正論のように聞こえるのだろう。

動かずに、座って考えるというのが苦手なのだろうとも思う。

資金が潤沢ならば良い。人員が豊富ならば良い。もう一つ言えば時間があるのなら良い。

だが、考えずに行動して失敗したら、もう後がないのだ。

結局は、すぐに動き出すというのは返って遠回りの道なのだということを知ってほしいのだが、なんとかしようと燃えている人たちに冷や水を掛けるようなことは・・・。

それよりも、しっかりと考えてから、皆が共通認識を持ってから、行動を起こすことこそが早道なのだと考えている。

広小路の場合は、根本原因は道路幅にあると私は考えている。アーケードの色を変えても、屋根を変えても、掛けた経費の割には効果が薄いだろうと思う。

何億円というお金を掛ける事業なのに、調査や研究が少ないままで着手してしまうのは、やはり補助金が入るからであろう、自分の懐の痛み具合が少なくて済むから。(でも、失敗したら結局は自分たちが一番ダメージを受けるんだけどなぁ〜)

私は広過ぎて殺風景な商店街が流行っているのを、これまでに、まだ見たことがない。この根本原因を直さずして復活することはまずないだろう。