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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2010-08-28-Saturday マイヒストリー22

北の屋台の成功を確信していた私は、

この2000年2月段階で、この年1年間を掛けてPR活動に務めることにした。まずは組合を設立し、HPを開設、世界の屋台の写真や日本の屋台の写真を60枚ほどのパネルにして市役所・デパート・駅などで「世界の屋台パネル展示会」を開催していった。

全国にもPRする為に、「北の屋台 アイデア・デザインコンペティション」を開催して、寒さ対策のアイデアや新しい屋台のデザインを募集した。

私は、学究肌のところがあるので、馴染みの神田の古本屋に依頼して屋台に関する文献を購入し読み漁って個人的に屋台を研究した(この研究は2001年7月29日の北の屋台のオープンの日に「北の屋台読本」として出版することになる)。

その他のイベントとしては、全国各地の青年会議所の協力を得て1万人アンケート調査を実施した。全ての都道府県に1万部のアンケート用紙を配布して4300部を回収するという高率回収のアンケートで、この内容を綿密に分析して報告書を作成した。

帯広市内では、新聞で一般市民に呼び掛けて、「屋台に最適な場所を探そう!ナイトツアー」を実施、話題を作るとともに、いかに多くの人を巻き込むかに腐心した。

私は、このナイトツアーには別の思惑があったのだ。私の職業柄、現在の北の屋台を営業している場所が当初から最適地だろうと考えていたのだが、いきなり地主さんに貸して欲しいと交渉しても上手くいかないだろうなと考えていたのである。そこで一計を案じたのだ。

一般市民が夜の帯広市を散策して選んだ候補地の一つがこの場所になったんだと云う風に仕向けたかったのである。案の定、4つのグループが選んだ候補地の一つにこの場所が入った。

翌日の午前中にすぐに地主さんの店に行き「貴方が所有している隣の駐車場が、昨晩のナイトツアーで市民から北の屋台の候補地の一つとして選ばれた。この場所で屋台をやることを検討してみても構わないだろうか?・・・・」と報告しに行ったのだ。地主に無断で我々が勝手に検討作業をやったら不快感を持たれてしまう。そうなったらお終いである。こじれた感情を戻すのは至難の業だからだ。だから、事前に「市民が選んだ一等地の所有者」というクスグリを入れて自尊心を煽ることにしたのである。地主さんからは「検討することは構わないよ」という返事をいただいた。「では、この駐車場に立ち入って、地面にチョークなどで屋台の大きさを書いたりしても構いませんか?」と尋ねたら、事前に了解さえ求めてくれるなら良いとの返事を貰ったのだ。

この返事さえ貰ったら、もうこっちのものだ。

早速、新聞記者を呼んで、この駐車場で検討作業に入った写真を取らせて記事として掲載してもらった。もうこうなるとこの場所でやることが既成事実化してしまう。

しかし、この地主さんとの交渉はこの後とても難しい局面を迎えることになる(この部分だけでかなりな長文になるので後日じっくり書くことにする)。

イベントばかりを続けるのはお金も人員も体力も必要だ。だから一回のイベントで3回新聞に載るようにしたのである。まず1回目は「こう云うイベントを開催しますよ〜」という告知の記事、2回目は「実際にそのイベントをやっている写真付きの紹介記事」、3回目は「そのイベントをやった後の成果などを話合う会議の内容の記事」の3回である。

これは新聞記者との良好な信頼関係があって初めてできる戦術なのだ。

アイデア・デザインコンペで面白いデザインの屋台が出てきたので、実物大の模型を造って藤丸デパート前に展示した、その屋台を使った販売イベントも行った。極め付けは2001年2月に開催した「第2回寒さ体感実験」である。これは現在の北の屋台とほぼ同じ大きさ、方法で組み立てた実物大屋台を2台、坂本ビル東側駐車場に設置して、一般のお客さんに飲食をしてもらうというものである。1台は囲いをビニール、もう1台はアルミサッシなど2台の違いを際立たせて、関心を高め、更に綿密なデータを取ったのである。(つづく)