«前の日記(■2010-08-26-Thursday) 最新 次の日記(■2010-08-28-Saturday)»
 | トップ |  | ビル概要 |  | テナント構成 |  | 沿革 |  | アクセス |

観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2010-08-27-Friday マイヒストリー21

仙台から戻った2000年2月21日夜に、

坂本ビルの東側駐車場で「第一回寒さ体感実験」を行い、寒さ対策に自信を持った私は早速次の考動に移った。一般市民の側からの期待感を高める戦略を練ったのである。

帯広のお偉方には私たちのやろうとしていることは到底理解できないということが身に浸みたからだ。

ここで練った戦略を一言で表現すると「三日に一度は新聞に載るゾ!」ということである。メディアを活用して、私たちの活動内容を常に市民に公開していく作戦なのだ。その為に頻繁にイベントを繰り出す計画を練った。

私のまちづくりの最終目標は1999年4月に「十勝環境ラボラトリー」で作成した「TMO提言書」に書いた「帯広の中心街にコミュニケーション豊かな場所を構築し、市民の心の拠り所を創り出すこと」である。

郊外型のショッピングセンター(SC)は効率化を図る為に、人員を極限まで少なくしているから、そこで働く人も、買い物に来る客にもセルフ化を強要させて、人を人とも思っていないかのような扱いをしている。

中心街が大資本の郊外店と同じ土俵で戦うのは愚の骨頂、中心街は郊外型SCが不得手なコミュニケーションを武器に戦うべきであるというのが、私の持論なのだ。

そのコミュニケーションを発生させる装置として「屋台」というのは最適な空間なのだである。「北の屋台」を中心街に造って、コミュニケーション豊かな場所がいかに心地良い場所なのかを実証するのが一番の目的なのである。

まちづくりに限らず「目的と手段を混同する人が多い」。

「コミュニケーション豊かな場所を創り出す」ことが目的であって、行うイベントはその目的を達成する為の手段にしか過ぎないのだ。

目的も無く、手段であるイベントだけを繰り返しても、何も得るものはない。ここが肝要なのだ。

何のために行うイベントなのか目的がハッキリしないものは、成果が見えてこないから、やがて張り切って参加している人たちから徒労感が生まれ、組織が空中分解する基となる。

綿密なイベント計画を練り、実際に三日に一度の頻度で新聞に載ったのである。

この2000年2月の時点で「北の屋台」事業に自信を持っていたのは、私一人だけであったろう。

中小企業団体中央会からの補助金の受け皿として組合を設立することを勧められていた私は発起人になれる資格(法人の代表権を持つ人)のある8人に出資をお願いして組合を設立した。

出資には協力してくれたものの、代表理事を誰にするかの件では皆、腰が引けていたのである。お願いしに行った人たち皆が断るのだ。

最終的には私がやるしかないかと考えていたところだったが、最後の1人になった人がやってもいいというのである。

私は、以前にこのブログにも書いたが、父が存命の頃、父が社長で私が専務という立場にあった時に一番仕事がはかどった経験がある。

名目上のトップがいて、私が実務を行うスタイルが、この新事業をやるには最適な方法だと思っていたのだ。

実務をやっている時には即断即決をしなければならない場面が多々出てくる。その時に名目上であっても二番手の位置に居る時には「トップに相談しなければならない」という時間稼ぎができるのだ。これが実際にはとても有効な方法だったのだ。

私は父が死んだ直後に色々な人から「貴方がトップなんだから、今すぐ決めなさい」と迫られ、苦い思いや痛い思いを数々したことがあるので、北の屋台でナンバー2の立場にいて実務を取ることが一番スムーズに事が進むと考えていたのである。

ところが、この方法はヤッパリ誤りであった。少なくともトップに立つ人間は誰でも良いという訳ではなかったのだ。やはりそれなりの見識を持った人間がトップに立たなければ組織というものは上手くいかないものだということは後に身を持って知ることになる。(つづく)