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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2010-08-26-Thursday マイヒストリー20

2000年2月初旬に仙台に行ってみると、

終戦直後は400軒ほどの屋台がひしめいていたと云われているのに、今ではたった4軒しか屋台が残っていないのだ。

仙台でも「屋台」を使ったまちづくりをしようとしたグループがかつてあったが、法律の壁を崩せなくて断念したという話を聞いた。

行政に「法律上出来ないんだよ!」と言われて簡単に諦めてしまったようだ。仙台の人には「マジック的思考法」をする人間が居なかったのだろう。私の様にしつこく何度も何度もあらゆる角度から研究し挑戦しなければ、そう簡単に壁というのは崩せない。

コロンブスの卵と同じで、誰かが実際にやって見せたら「何だ〜そんな簡単なこと」とアッサリ言う人が多いのが一般人の反応だ。だが、最初に思い付いて、そしてそれを実行することはとても難しいことなのだ。

仙台の屋台は博多の屋台よりも一回り小さいサイズであった。この小さい屋台を戸板で作った壁で囲っている。寒さというのは風速1mで体感温度が1度下がると云うから、風を防ぐことで寒さを幾分は回避できそうだ。屋台の中に入ってみると、意外と暖かい。屋台では温かいモノしか出してはいけないという決まりがあるから、当然中で火を使っている。中の空間も狭いから人間の体温と使用している火とのお陰で中の温度は23℃ほどであった。屋台店主に聞くと屋台では冬はコートなどを着たまま食べるのが普通なのだそうだ。少し寒いくらいに居心地が悪い方が、熱燗が売れるし、客の回転が速くなって良いとも言っていた。

宮城県の仙台市と北海道の帯広市とでは冬の気温は10℃ほども違うから、完全な参考になったと云う訳ではないが、少なくとも東北地方でも真冬に屋台が営業出来ているという事実は心強かった。ましてや「北の屋台」の厨房部分は固定化するのであるから、仙台の屋台よりは温度が逃げないだろうと考えた。

早速、帯広に戻ってから、実物大の模型を製作して、坂本ビル東側の駐車場で「寒さ体感実験」なるものを行ってメディアに公開した。

当日は外気温が−7℃という寒さであったが、厨房内の温度は30℃以上になった。囲いを付けなかった客席部分はさすがに寒かったが、客席も仙台のように壁で囲えば何とかなるだろうという目途がついたのだ。

帯広でかつてラーメンの屋台を引っ張っていた方で今はラーメン店の店主になっている方にもインタヴューしたが「昔は真冬の2月でも営業していた。当時は壁なんて作れ無かったから−20℃の寒空に、お湯を沸かす為の七輪2個とコンロ1個だけが暖を取れるものだった。それでも客が、お風呂などの帰りや飲んだ帰りに立ち寄ってラーメンを注文し、出来るまでの間に熱燗を飲んでいったものだ。寒いと思ったら客は来ないだろうと思うよ。寒かったのは客ではなく私らの方だったのさ。だから私らは服を何重にも一杯に着込んで立っていたものさ。」と言っていたのだ。

この時点では屋台店主の暖房に関しては全く問題が無いとの結論を得たのである。

「北の屋台」方式に自信を深めた私は、商店街の人たちの「屋台は南の国のモノ」という考え方は間違っていると思ったのである。

二度目に博多を訪れた際に博多の屋台店主にインタヴューした時には「博多の屋台は冬の風物詩さ」「屋台の売り上げのピークは10〜2月の冬の間なんだ」という話も聞いていたからだ。

むしろ「屋台」の敵は「雨」と「暑さ」だということが判ったのである。(つづく)