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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2010-09-09-Thursday マイヒストリー29

2001年は北の屋台で忙しかったが、

私は十勝環境ラボラトリー(TKL)の専務も兼ねているので、両方の事業をやらなければならない。

「国際環境大学公開講座」は、1月:大坪省三(東洋大学教授)・2月:ガブリエーレ・メガッティ(駐日イタリア特命全権大使)・3月:田中良太(フリーライター)・4月:浦島久(ジョイ・インターナショナル代表)・5月:金子修也(GKグラフィックス社長)・6月:長谷川岳(ヨサコイソーラン祭り専務理事)・7月:竹沢えり子(編集者)・8月:増田章(極真会館増田道場代表師範)・9月:杦本育生(環境市民チーフコーディネーター)・10月:錦織弘昭(デザインプロデューサー)・11月:大沢真知子(日本女子大学教授)・12月:近藤隆雄(多摩大学教授)と毎月の開催をした。

この中で、特に印象に残っているのが、2月3日のガブリエーレ・メガッティ全権イタリア大使閣下である。この方を連れて来てくれたのは、前年2000年6月に講師として来てくれた朝吹誠(海外広報協会専務理事)さんなのであるが、何と前日に朝吹さんの父上がお亡くなりになったのである。それでも、約束だからと朝吹さんはガブリエーレさんを帯広まで連れて来てくれて、講演では通訳を務めてくれて、その日の千歳空港からの最終便で東京に戻られたのである。

ところが、駐日全権大使といえばイタリアの国を代表して来日している、いわば国賓級の人物である。

今回の来勝はプライベートということで、朝吹さんと2人で密かに来られて、翌日、札幌の雪まつりの行事に参加するというスケジュールになっていたのだ。

朝吹さんが父親の葬儀の為に急遽、東京に戻られたから、つまり、お付きの人は誰も居ないということなのである。

我々の中にイタリア語が話せる人間は居ない。ガブリエーレさんは大使だから英語は堪能だが日本語はしゃべれないから、我々の英語力では何とも心細い限りだ。

「ガブリエーレ閣下殿はプライベートでお付きの者がいないから、帯広では自由に遊びたい」と言っているとメンバーの誰かが怪しげな通訳をした。

真に受けた私は、北海道ホテルで十勝の食材でもてなした後に、私のなじみスナックにお連れしたのである。そうしたら、恐れを知らないそこのホステスがガブリエーレ閣下のことを「ガブちゃん」と呼んでキャッキャと騒いでいる。無茶苦茶な英語なのに、ここのホステスたちは恥ずかしいということを知らないから会話が妙に盛り上がっていたのだった。

翌日、「小川」で蕎麦を食べてもらって、帯広駅にお連れして札幌行きの列車にガブリエーレさんを1人で乗せてホームで別れた。

誰かが付き添いで札幌まで同行した方が良かったのかもしれないが・・・。

ガブリエーレさんが「私が乗る列車の席の番号を大使館の人間に知らせてある、札幌駅のホームではイタリア大使館の関係者が待っているから大丈夫」と言っているという風に聞こえたのである。

何事もなく無事に札幌に到着してくれて本当に良かった。もし、何かがあったらと思うとゾッとするが・・・。

後日、朝吹さんから「ガブリエーレ大使は帯広がとても面白かったとおっしゃってましたよ」と言ってくれたが、果たして本当だろうか?

でも、翌年、ガブリエーレ大使の話を聞いたオーストラリア大使が十勝に遊びに来てくれたから案外ホンネだったのかもね。

いつも周りにお付きの人がピッタリと寄り添って居るから、なかなか羽を伸ばせなかったのではなかろうか。

帯広から札幌まで一人で列車に乗ったなんて経験は、きっと日本では初めてのことだったのだろうと思う。逆にそれが印象に残ったのかもしれないなぁ〜。その後、東京のイタリア大使館で開催された「日本に於けるイタリア100年(?だったと思う)」のパーティに我々を招待していただいたのである。(つづく)