その中でも、私にとって柿は特別な存在であった。
昔は、今日のように甘い果物は少なかったから、おそらく昔の果物の中では柿が一番糖度が高かったのではないかと思う。
柿にも種類が沢山あるが、私が好きなのは、和歌山の種無し柿や新潟の庄内柿が好きなのだ。平べったくて四角い形の柿である。しかも固いシャキシャキしたのが好きで、柔らかくなってべチャべチャになったのは好みではない。
祖父は山梨県の出身なので、山梨の知人から、庄内柿よりやや大型の似た形をしている富有柿が毎年送られてくるが、こちらの柿の甘さはいまいち好きではない。また、干し柿にするような先の細くなっている柿はあまり好きではない。私は好みがうるさいのである。
死んだ父の柿の好みは私と逆で、崩れそうに柔らかくなった柿をズズッ〜とすすって食べるのが好きだった。親子でも好みがまったく違ったのだ。
私の好きな庄内柿は、昔は渋柿がかなり混じっていた。当時の見分け方として皮がまだ薄緑色をしているものは、米びつの中に入れて渋みを取ってから食べたものだ。ここ最近の柿で渋柿に当たることはなかった。品種改良でもしたのだろうか?たとえ、まだ薄緑色の皮の柿であっても渋柿ではない。
昨晩の夕食時に、母が2個の柿を持って来てデザートに食べようと言う。一個は柔らかくなる寸前の朱色になった柿、もう一個はまだ色が薄い固い柿である。
当然ながら、朱色の柿の方が甘かろうと思い、薄い色の固そうな柿から先に食べたらこれが甘くて美味しかった。母も妻も同じ様に考えたのだろう私と同じに薄い色の柿から先に食べたのであった。
次に朱色の丁度美味しそうな柿を口にしたら、何とこれが強烈に渋い柿であった。渋柿に当たったのは久し振りのことだ。
口の中の歯の表面に柿の渋みがネットリと張り付くような感覚がする。すぐにウェッと吐き出して口をゆすいだがなかなか取れない。不幸なことに私が一番先に朱色の柿を口にしてしまったのである。
完全に熟しているように見えたのに・・・。
母は朱色に熟した柿を口にするのを止めた。妻に、少しだけ食べてごらんと言ったら、妻は一口だけ食べて確かに渋いと確かめてから、そのまま食べずに捨てた。
柿の渋さは、口の中に後々まで残るのが何とも厄介なのだ。
久し振りに渋柿を口にして昔を思い出した次第である。