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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2010-12-30-Thursday 読売新聞風向計

2010年12月30日読売新聞北海道版「風向計」掲載

「脱・途上国型」将来像を

「長期ビジョン」って何なのだろう?

5年先の在り様か?それとも10年先?50年先?100年先?

未来のことを考えるのに、「予想」「予測」もあれば「予言」もあるが、超能力者でもない限り常人に「予言」は不可能だ。

「予測」の仕方にもいくつかの方法があろう。近い先の「予測」から徐々に積み上げていく方式では、事件やら天災やらの突発事態が起きたり、画期的な発明がなされたら、予測と結果に大きな乖離が生じる恐れがある。何が起こるか判らないから、この方式の予測はあまり当たらない。

遠い100年先の理想的な社会の在り様を、想像力を駆使して想定し、その理想を現実化するために、80年先はここまで、60年先はここまで、40年先、20年先、10年先と、逆方向に達成しなければならない目標をクリアしていく手法というのは取れないものか?

では、100年先の未来を考えるにあたって、人は何を目的にするのだろう?それは間違いなく「幸福」だろう。誰だって不幸になりたいと思う人はいないはずだからだ。だが、どうも最近のリーダーと言われる人たちの目的って何なのかが、よく分からない。その場その場で目的がブレまくっているようにしか見えないからだ。

「日本は資源と国土の少ない国だから、資源を外国から輸入し、それを加工して製品にして輸出し、貿易で国を成り立たせる」と言う人が多いが、本当にそうなのだろうか?

明治維新からの100年はそれで良かったかもしれない。しかし、それは低賃金で働ける国民が大勢いる発展途上国型のモデルではないか。現在、中国やインドを始めとする発展途上にある国々がこのモデルで日本に追随している。

日本のメーカーは、負けまいと製品を安くするために、工場を機械化してこれに対抗しているが、この方法の行く着く先は、人間の不幸でしかないのではないか。

機械に職を奪われ、解雇される人間。無人の工場は黙々と製品を作り続けるが、低賃金労働者が作る国の製品に値段では敵わない。ますます効率化、機械化を進めるものの対抗しきれずに海外に拠点を移す。やがてこの国に働く人間はいなくなる。職を失った人の生活を守るために社会保障費を増大させるが、人口も税収も減る一方・・・・。こんな予想は当たってほしくない。

日本は一刻も早く、100年後の未来に向けて、新しい価値観で作る将来像を構築しなければならないと思う。いつまでも過去の成功体験に寄りかかってはいけない。2011年に期待したいと思う。