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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2011-02-01-Tuesday 北の屋台

最近、北の屋台方面からオカシナ話が聞こえて来る。

去年の12月3・4日の私のこのブログで「例え話」として描いた危惧が現実に行われているようなのである。

私は2007年3月末日に北の屋台を卒業した身であるから、これまで北の屋台に対して批判的なことは書いてはこなかった。

それは私にとって北の屋台は我が子の様に可愛い存在だからだ。だが、それをいいことにして、残った理事者の一部が、私が悪事を働いたから北の屋台を辞めさせられただの、北の屋台に多額の借金を背負わせただのと、まるで逆のことを言いふらして歩くので、私の名誉を守る為に、事実を公表することにしたのは先日も書いたことである。

もう一点、最近、私が我慢ならないことは、現在の運営者たる理事者たちが、北の屋台設立の理念を守らずにメチャクチャな運営を行っていることである。

北の屋台は「まちづくり」の事業として始めたものである。『駐車場というたった19人の人間しか使わない場所に屋台村を造ることで多くの人達(最高は18万人)に活用してもらい、まちの雰囲気を活性化させ、これから事業を始めたいという(素人の)人達に、屋台という場所と道具を提供し、3年間で固定客と軍資金と商売のノウハウを獲得させて屋台を卒業してもらい、街中のシャッターが下りている空き店舗に店を構えてもらう。空いた屋台にはまた意欲のある新人に入ってもらう。それを繰り返すことで帯広市中心街を活性化させよう』という計画なのである。

このコンセプトが支持されたからこそ、国や市や商工会議所が補助金を出してくれて、北の屋台は始まったのである。

K専務理事個人の生活を維持する為の事業では決してない。

まともに北の屋台を運営して、その働きによって得る給料で、その理事者が生活することまで、とやかく言うつもりはまったくない。

だが、屋台店主たちの法律の無知に付け込んだアヤシゲなお金の取り方や、逆らったら辞めさせるゾという恫喝的な、オカシナ運営をして屋台店主らを困らせることは如何なものだろうか。

K自らが設定した第4期目の入れ替え時期(当初は去年の11月末日が今年2月末日に突然変更になった)がもう1ヶ月も残っていない。早く移動する場所ぐらい(第4期に残る)現店主たちに教えてあげなきゃ移動の算段も出来なくて困っているのではないだろうか。

せめてマトモな運営をしてくれることを望むものである。

私が卒業した後に、北の屋台として何か新しい事業の一つでも始めたことがあるのだろうか?「ながいもフェアー」などの「○○フェアー」も「スタンプラリー」も全部前から同じだ。そのくせ「起業塾」などの事業は無くなってしまった。手の掛かる事業はやらないで、簡単な、同じことを繰り返してばかりでは、お客さんに飽きられてしまう。

それともうひとつ、北の屋台の開始時についてのことである。先般、AIR DOの機内誌「rapora」の1月号に「狭くて楽しいコミュニティ酒場 十勝・帯広 北の屋台」という特集記事が掲載されたものが旭川在住の知人から送られてきた。

その内容たるや、デタラメばかりである。まるで「北の屋台」はK専務理事が発案して、自分が作ったかのような記述である。

raporaによると『Kさんが、仲間と共に町づくりに乗り出したのは1993年。約20年振りに故郷へ戻り、「街並みはきれいになったけれど、人が歩いていない」と感じたのがきっかけだった。かつて街を活気付けていた、猥雑さや人と人とのコミュニケーション ー 失われたものを取り戻すすべを探るうち、暖簾の奥で店主と客、客と客が濃い関係を結ぶ「屋台」というスタイルが浮かび上がった。』のだそうだ。Kがまちづくりに専念したのが1993年から?「専念」って?????

少しでも長く(まちづくりに関わっているかのように)見せかけたいのだろうけど経歴詐称は・・・。

さらにraporaには『視察に出掛けた博多の屋台でKさんは、あるヒントを得る。・・・・・・』だって、Kは北の屋台を作る時にアイデアの一つでも出したか?

1999年10月21日に博多に視察に行った時も、翌日の午前中は福岡市役所にも同行しないで市内観光していた人間が良く言うよ。

AIR DOが帯広に就航するのが3月27日からなので、どうせ、帯広の人間はそれまで、この機内誌を見ないだろうから、デタラメを言っても分かるまいとでも思ったのだろうか?

行き当たりばったりで、まことに困ったご仁である。