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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2011-04-07-Thursday マイヒストリー56

2006年6月9日に

札幌の北海道大学の遠友学舎という建物で、北海道大学の小林英嗣教授の還暦のお祝いの会が開催され、教え子や関係者らが集まった。何故だか私がこの会の実行委員長ということになっている。私は北大の出身ではないし、離れた場所の帯広市に住んでいるのに・・・。小林教授とは2001年9月11日(アメリカで同時多発テロ事件があった日)に、帯広市のまちづくりの委員会で初めてお会いしてからのまだ短い縁でしかない。

以前にも書いた記憶があるのでサラリとだけ触れておくと、この2001年9月11日は北海道には珍しく大型の台風が襲来しており、北大のポプラ並木が根こそぎ倒れたという強風の台風であった。帯広市役所でまちづくりの会議を終了し、初めて会ったばかりの小林教授が北の屋台で飲みたいと言われて、台風の中を屋台で一緒に飲んだのがお付き合いの始まりである。この日は色々な意味で印象が深い一日となったのであった。

以来、親しくお付き合いをさせていただいているが、この程度のお付き合いで還暦祝いの実行委員長をさせて頂いたのはとても光栄なことであった。

2006年4月から札幌の道庁で「北海道総合開発委員会」という北海道の2008年からスタートさせる今後10年間(2008〜2018年)の開発計画を立てる委員会の参事に就任した。十勝からのメンバーは私と砂川市長(当時)(北海道市長会の代表として参加していたが出席は最初の会だけであった)の2人だけで、どうしても札幌を中心とした道央圏の意見が強くなりがちだ、それ以外の道東の地方としての意見を発言しなければならないから責任は重大である。私は計画部会にも配属され、毎月のように札幌に出ては会議に参加して積極的に発言した。とても忙しい中だったが、欠席したのは1回だけだと記憶している。この委員会は2008年からこの計画がスタートしたが、経過を見続けるということで現在も参事として活動している。

8月5・6日(土・日)に銀座にある常盤小学校を会場にして「全国まちづくり会議」が開催された。前年は新宿の工学院大学で開催された催しである。発起人の一人に名を連ねているので、7日に札幌で、先に書いた「北海道総合開発委員会」があるという強行スケジュールの中、出席して、会議のコーディネーター役を務めたのであった。

8月9・10日に台湾から北の屋台の視察に安福さん一行が来られた。北の屋台を案内しながら一緒に食事をしたのだが、とても感心した様子だ。翌週の17日に再び訪れて、10月の台湾の祭りで北の屋台のブースを2店舗出展して欲しいというのだ。2店舗の屋台の製作費、(1店舗2名分の)人件費、旅費、宿泊費を台湾側が支払うという。台湾の屋台とは異なる北の屋台の雰囲気をお祭りに紹介したいと言うのだ。監督として私の同行もお願いしたいという。急な話なので、北の屋台の全店主を集めて会議を開き、皆の意見を聞いたら、「誰が選ばれても文句は言わない。北の屋台の代表として台湾に送り出したい。2店が抜けている間も残った屋台が頑張って北の屋台を繁盛させる」と言うので、組合としても台湾行きを了承することにした。

その後、札幌の業者を間に入れて、詳しい条件や内容を詰めていくのだが、話す度に段々と条件が厳しくなっていく。

最初は売り上げのノルマもないし、北の屋台の雰囲気を紹介するだけだと言っていたのだが・・・、1日に売り上げを○○は上げて欲しいとか言い出すのである。10席の客席に座らせる北の屋台方式では、先方の言う売り上げは到底無理な数字なのである。

それでは、話が違うとキャンセルしたら、再度、日本の業者が何とか台日友好の為に頼むというので、台湾に行くことになっているラーメンと小料理の店主に再度聞いたら、とてもそのノルマはこなせないとの返事。結局、2ヶ月もの交渉は無に帰したのであった。

8月20日に渋谷のNHKで、全国のまちづくりの成功事例の紹介ということで、北の屋台と島根県の松江市の紹介をメインにした番組の収録があった。前日の19日に東京入りして打ち合わせを行い。夜は渋谷の居酒屋で司会の関口博之さんらスタッフと会食をした。一緒に出演する松江のお茶屋さんがよくしゃべる方で居酒屋ではほとんど独演会であった。

私は1999年に台湾の屋台を視察しているから「北の屋台は台湾の屋台の様にテイクアウト型の屋台ではないから、客の回転が悪くて、それだけの経費を掛けたら、商売にはならないよ」と忠告したのだが「商売としてではない。台湾とは違う屋台文化を紹介したいのだ」と言うのだ。

翌20日の収録本番でディレクターから、スーツ姿ではなく、北の屋台のロゴ入りTシャツを着て欲しいとの注文があった。一応、依頼があったので持参はしていたものの、この醜く飛び出たお腹にTシャツ姿は似合わない、何とかお願いしますとのことなので、渋々、Tシャツ姿になった。少しでもお腹をスマートに見せようと、収録の間中、懸命にお腹を引っ込ませていたので、かなり苦しい撮影であった。せっかくお腹を引っ込ませていたのに、家族からはお腹が出ていて格好悪かったと悪評ふんぷんであった。テレビの映像では太って見えるのだが常識なのだが・・・。

この後も、9月2日に札幌でHBCラジオの収録、5日に月刊誌「潮」の取材、9日に月刊誌「プレジデント」の取材など、大手の雑誌の取材が立て続けに入ってきた。少し目立ち過ぎだったのかもしれない。(つづく)