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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2011-07-04-Monday まちづくり

どうも帯広の人たちは、

「まちづくり」というものを簡単、若しくはチョロイもんだと思っているらしいが・・・。

私は、国土交通省(内閣府・農林水産省)から「観光カリスマ」というものに任命されて全国各地のまちづくりに携わってきた方々と交流する機会を多く持たせてもらっているが、まちづくりに熱心な方々は総じて、健康を害したり、早死にしている人が多い。

何故なのかを考えてみると、精神的にかなりの苦労をされて来られたのだろうと推察する。

商店街を例にとってみると判り易い。

商店街は意見の集約があまりにも難しいのだ。

そこには立場の違いというのが大きいと考える。地主で家主で店主という人も居れば、借地で家主で店主という人、借地で借家で店主という人も居る、また雇われている店長という人も居る。

商売の規模もまちまちだ。年商何百億円の会社もあれば、数百万円のパパママショップの人もいる。

だがそれぞれが皆、一国一城の主なのだ。商売のやり方には皆一家言持っている人達だ。

そこに、ジェネレーションギャップという厄介なものが加わる。

かなりな老年の人、初老の人、壮年の人、青年の人とバラバラである。この世代間の溝というのがなかなか埋められないのだ。これに男女の差というものが加わる。

若い世代は改革をやりたい、やらねば商店街の明日は無いと焦っているが、後継者が居なくて自分の代で商売を辞めようと思っている人は、自分の目の黒い内はなるべく平穏にしておきたい、商店街を改革するのは自分が死んでからにしてもらいたいと考える傾向が強い。

こういう人が一人でも居ると改革は容易ではない。時間の経過と共に若かった人達もやがて年を取る。そうなると同じことの繰り返しになる。

戦後も66年も経つと保守的な考え方が蔓延してくるようだ。

青年会議所は40歳で卒業するという組織である。ほぼ同年代の集まりだから改革などもやり易いと思うのだが、それがなかなか出来ないのは、同じ年代でも保守的な考え方の人間と、革新的な考え方の人間が居るからだ。

組織の構成員の考え方を一つにまとめるのは多大なエネルギーを必要とするのだ。

組織の役員なり、事務局なりを経験していて、その苦労を知っている人は協力もしてくれようが、そういう役職に付いたことのない人は、まとめる苦労を知らないから、平気で話をぶち壊してくれる。そうなるとまとめようと考えて尽力してくれた人が嫌気を差してしまうのだ。

商店街のトップに立つ人は、聞き上手な人でなければならない。ワンマンでグイグイ引っ張っていくには相当なカリスマ性と知力と金力と体力が必要になる。なかなか全てを持っている人は存在しないからだ。

これからのまちづくりは益々難しくなるだろう。もはや、各商店にも体力が残っていないからだ。

かつて、私が所属していた商店街では、通りの改装計画で理事会と青年部との衝突が起こったことがある。

青年部は、ある作戦を立てた「各商店がまだ改革をする体力がある内に、青年部は商店街活動から一斉に撤退しよう。体力がある内に商店街活動を一旦どん底まで落とすのだ。年寄りだけの理事会は商店街活動が出来なくて、やがて青年部に泣きを入れてくるだろうから、その時には白紙委任状を取り付けて商店街活動を青年部の手にしよう」としたのだ。

その作戦は途中までは上手くいっていた。しかし、アホな奴がポストに釣られて抜け駆けして、この作戦は水泡に帰してしまった。

その後はズルズル、ダラダラと低迷を続けて、各商店の体力も気力も無くなってしまった。もはやこの商店街は何か新しいことをするには体力・気力不足になってしまったのだ。

アホな奴は、このままでは商店街が大変なことになると心配したのだろうが・・・、そう理事会に思わせる作戦だったのに・・・。

体力のある内に一度大変な状態にする作戦だったのだが、そもそもその作戦を本当に理解していなかった様なのだ。

結局それから既に20年以上無為な日々が過ぎ去った。もはや私にもかつての勢いも気力も無い。結局はこれまでの商店街活動の30数年間を無駄にしてしまったようだ。きっと私と同じ様な思いの人も多かろう。

帯広のまちづくりは根本原因を正さなければ、このままやりつづけても無駄に終わると危惧している。

私に残された気力はもう限りなくゼロに近づいていると思う今日この頃である。