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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2011-07-05-Tuesday 勝毎「論壇」

2011年7月4日十勝毎日新聞「論壇」掲載記事

「カテゴリーキラー」

帯広市でも商売の形態は随分と変化を遂げた。藤丸デパートが西2条南9丁目にオープンしたのが1961(昭和36)年11月。以降、66年ステーションデパート、68年金市館、69年サニーデパート、70年長崎屋、75年イトーヨーカドーがオープン、80年くらいまでは商店街との相乗効果で中心街は全盛期を迎えた。薄利多売のスーパーマーケットは住宅街の近くに出店を始めたが、中心街とのすみ分けができていた。

中心街の変遷は交通機関の影響が大きい。帯広においても、舟 → 馬車 → 汽車 →車 へと変遷していくたびに中心街が移動した。

80年ころから自家用車の比率が高まり、列車の使用が減少し十勝でも広尾線、士幌線が87年に廃止され、駅はビジネス客中心になった。

車によって行動範囲が広がり、平らな帯広は郊外に「ロードサイドショップ」や食品以外の商品も扱う「総合スーパー」などがオープン。

全国チェーンの電化製品、スポーツ、靴などのロードサイドショップが進出を始めるが、このタイプの店は特定の分野の商品を豊富に品ぞろえして低価格で販売することから「カテゴリーキラー(CK)」と呼ばれた。CKが進出すると商圏内の店舗がその分野の取り扱いをやめ、やがて撤退にまで追い込まれることから名付けられたものだ。

この複数のCKを一カ所に集合させた「パワーセンター」も登場。中心街の集客力は薄れ、大型店の撤退や郊外への移転が起きた。

最近は「テレビショッピング」や「ネットショッピング」が台頭してきたからCKなども絶対の存在ではない。全国各地に店舗を構えれば、不動産や人件費などが膨大に掛る。それらの経費をほとんど掛けなければ、より低価格で販売することが可能だからだ。

商品を手に取って調べられない難点はあるが、賢い(ズルイ?)消費者は市内の専門店に行って商品を確認してから購入する者まで現れた。

私見であるが、「商売を単なるモノの売買」と考える店は生き残れない。効率化し経費を最小限に抑える方式は中小零細では限界がある。たとえまねしても資本力で蹴散らされるだけだ。

北の屋台の成功は「不便さが生み出すコミュニケーション」にある。効率化・便利さに対抗する術は「情」であり「ワクワク感」だ。きれいなだけでも安いだけでも客は買わない。

かつて帯広では買い物を「まちに行く」と言っていた。中心街はおしゃれして出掛けるハレの場所だったのだ。抜本的な対策を取らなければ中心街の存在価値もなくなるだろう。