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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2011-08-19-Friday 帯広大道芸の始まり

帯広での大道芸フェスティバルの歴史を

振りかえってみたい。

2002年8月に、私の旧知のマジシャン仲間から、紹介したい大道芸人がいると言われて「キャプテンケーボー&クリスピークリス(現:ファニーボーンズ)」を紹介されたのがそもそもの始まりであった。

北海道はと言うよりも、日本全国何処の場所であっても、大道芸人にとっては仕事がとてもやりずらい国なのである。

警察は、道路法・道路交通法などで、一般的に道路上では通行することしか認めていない。立ち止まって商売したり、通行の妨げになるような行為は禁止されている。

例外は、伝統的なお祭りや、地域を挙げてのイベントなどで道路を封鎖して車をシャットアウトしたり、または露店を出すことを許可したりするが、それでも最大1週間程度であって、ずっと続けることは難しい。

また、札幌の大通公園などの市有地であっても、公園法によって、商売やパフォーマンスを禁止している。

東京都がヘブンアーチスト制度というのを始めて、試験に合格したアーティストに都が認可した場所では、パフォーマンスをすることを認めているという制度があるくらいである。

欧米の様な、道路上でのパフォーマンスに対しては日本は非常に無粋で冷たいな国なのだ。

帯広で路上パフォーマンスをやりたいという彼等の希望に対して、毎年8月14〜16日に開催される「平原まつり」くらいしか大道芸を披露する場所と機会がなかったのである。急な申し出であったから、私がまつり関係者に連絡をして坂本ビル前をパフォーマンス空間として確保したのであった。

また「北の屋台」の中央スペースは狭いけれどもここも夜間の会場にすることにしたのであった。

彼等はとても優秀なパフォーマーであったから、帯広の人達の反応は良かった。そこで、彼等も来年から仲間に声を掛けて帯広でパフォーマンスをしたいという話になっていったのである。

実はこの2002年という年は、前年2001年7月29日に北の屋台をオープンさせたばかりで、私が考えた「飲食」「物販」「パフォーマンス」の3種類の屋台の内、01年は飲食の屋台、02年はパフォーマンスの屋台に力を入れる元々の計画であったのだ。

屋台の開業1周年記念事業として大阪から日本一のチンドン屋さん「東西屋」の5人組みを招聘して北の屋台や街中でもパフォーマンスをやったり、マジシャン数人をを招いてショーを開催したりしたのである。

その中に大道芸が上手く重なったと言う訳なのである。

北の屋台には20軒の屋台が入居しているが、広告宣伝費という名目で毎月2万円を徴収しているから1ヶ月の宣伝費は40万円になる。これを数ヶ月分貯めてパフォーマーの招聘費用に充てたのである。

だから、最初の大道芸は「北の屋台プレゼンツ」というスタイルで、北の屋台の経費を使って始まったものだ。

2003年も同様にして、北の屋台の広告宣伝費で行った事業なのである。

余談だが、私が2007年3月末日に北の屋台を卒業してからは、北の屋台ではこのような企画がまるで行われていない。毎月の40万円の広告宣伝費は一体何に使われているのだろうか?とても気になる。広告宣伝費と言う名目で徴収しているからには、それ以外目的の事に使ってはいけないのではないかと思うのだが・・・。

3年目からは、勝毎さんが大道芸を実行委員会形式にして、道からの補助金を受けて大きくしましょうという提案に乗って現在の「北の大地de大道芸フェスティバル」へと発展したのである。