というか、過剰というのか。今回のカナダ旅行で改めて感じた。
まずは日本の街は、夜が明る過ぎる。夜間の照明が多過ぎると感じた。
関東地方は福島第一原発事故で節電しているというが、きっとそれぐらいの節電している明るさが世界の先進国の標準なのではあるまいか?
確かに明るい方が犯罪の発生は少なくなるだろうが・・・。
次に感じたのは、日本のサービス過剰である。
ホテルは、立派な部屋なのに冷蔵庫が付いていない。またトイレにはウォシュレットが付いていない。部屋の照明も暗い。マッサージがない。
この4点は日本のホテルのサービスに慣れてしまうと、とても不便に感じてしまうものだ。
ウォシュレットは外国のホテルには装着されていないのが普通だから、海外旅行に出掛ける時には、旅行用の携帯ウォシュレットを持ち歩くことにしている。何せ、我が家は痔主であった父が、日本でもウォシュレットが販売された直後に装着していたから、紙で拭くことがすっかり苦手な体質になってしまったのだ。
少し前(15年くらい前)までの日本のホテルにもウォシュレットが付いていないホテルが多かったから出張には必ず持って行ったものだったが、近年は日本ではウォシュレットが付いていないホテルは少なくなったので、荷物になるから日本では持ち歩くことはなくなったのだが・・・。
冷蔵庫の方は、最近の日本のホテルでは冷蔵庫の中身を入れておいて、きた使った分だけ清算するという方法が少なくなってきた。中身の補充や清算の手間を省くホテルが増えてきたということだろう。その分、ホテル内に自動販売機やコンビニ店を置くところが増えてきた。人手を省いて料金を安くし、その分は自分で買って勝手に使って下さいということになっている。
もうひとつは、タクシーの自動ドアである。今回のトロント旅行では数回タクシーを使用したのだが、降りた時にドアを閉め忘れて車から離れ、運転手にクラクションを鳴らされてから気が付いて、慌てて戻ってドアを閉めるということがほとんどだった。ホテルから乗る時にはホテルの従業員がドアの開閉をしてくれるので自動ドアのように錯覚してしまう。だから乗る前には気を付けているのに、いざ降りる時には忘れてしまうのである。
いずれも、身体に染み付いた習慣になってしまっているのだろう。
日本でのサービスが当然だと思っていると、世界ではまったく通用しない。果たして日本がサービス過剰なのか、それとも世界が遅れているのか?
便利さというものは、不可逆性があって、一旦便利に慣れてしまうと、これまでは普通に感じていたものさえが不便に感じてしまうものなのだ。
日本を離れてみるとそういうことが良く判るのである。