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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2011-11-21-Monday オウム真理教

オウム真理教の裁判が終了したというニュースである。

オウムが地下鉄サリン事件を起こしたのが1995年。この年は私にとってはとても印象深い一年であったが、日本にとっても印象深い一年なのではないだろうか。

1992(平成4)年5月2日に父が他界し、坂本ビルはテナントが抜けてガラガラの状態であった。もはや物販のビルでは立ち行かないと、物販のビルから飲食のビルへと変貌させるべく2年間の研究と検討を重ねて1994年秋からようやく改装工事に入った。

そんな矢先の1994年夏に帯広青年会議所の次年度の「国際環境大学構想プロジェクト担当副理事長」への就任依頼があったのである。

まだ本業の事業転換が完成していない中であったが、自分が提唱した「国際環境大学構想」を実現させたいという強い思いもあって引き受けることにしたのだが、今考えると、この決断が私の人生を大きく変えることに繋がるのである。

この「国際環境大学構想」から1996年に「十勝環境ラボラトリー(TKL)」が生まれ、そしてそのTKLの活動の中から「北の屋台」が誕生するのである。

私にとってこの1995年1月から、TKLを解散した2006年12月末、北の屋台を辞めた2007年3月末の12年間は、ハチャメチャに忙しく、また楽しい日々でもあったのだった。

その始まりであった1995年は1月に阪神淡路大震災が発生、3月には地下鉄サリン事件が起こった。

地震は天災であるが、オウム真理教が起こした一連の犯罪は、世の中を混乱させ震撼させる重大なものになった。

特に新興宗教団体が引き起こした犯罪として強く社会に驚きを与えた。

オウム真理教はこの事件以前にも、怪しげな活動を何度も繰り返しており、世の中に不信感を与え続けていたが、まさかこのようなテロ行為をするまでの準備していたというのが第一の驚きであった。

捕まった信者が皆、高学歴の理系エリートというのも驚かされた。彼らが何故に怪しげな新興宗教に惹かれていったのかを社会学的に解明して欲しいと思っていたのだが、どうやらその辺はうやむやのままらしい。

私の様に、マジックを趣味とする人間は、世の中の不思議に対してもまずは疑って掛かる性質があるが、この理系エリート達は、おそらく単純な詐術に騙されてしまったのだろう。

新興宗教のズルイところは、目に見えない「神」を扱うから、自分が正しいと思えば正しいし、変だと思えば変になるのである。

ところが、変だと思っても、集団心理で童話「裸の王様」の様に、一人だけで変だとは言い出せなくて、その内に「最初に変だと思ったのは信心が足りないからだ」と周りの信者達からも攻められて、やがて自分を納得させて安心してしまうのである。いわゆるマインド・コントロールというやつだ。もうこうなってしまったら手がつけられない。まさに自分がエリートだっただけに、自分が正しくて、麻原彰晃を信じない奴等はバカだ、間違っている、そしてそのバカ共は殺しても構わないという考え方が加速されていくのだろう。

麻原彰晃は、世間からのバッシングを新興宗教につきものの「法難」として、信者の連中に、この法難を乗り越えたらオウム真理教は世界的な信仰になると説いていたのだろう。

麻原にしてみれば、テロは失敗したが、捕まってしまった以上は、自分の死刑をキリストの磔と重ねて見せようという魂胆であろう。死して名を残そうという魂胆なのかもしれない。

現在もオウム真理教には「アレフ」や「ひかりの輪」などとして1500人近い信者がいるという。

キチンとした解明をしないまま、麻原を死刑にしてしまうと、麻原をキリストにみたててオウム真理教の残党がオカシなパワーを持ってしまう危険性があると思う。

新興宗教のマインド・コントロールからの解放は非常に難しいことなのだ。

怪しげな新興宗教には近付かないことであるが、彼等も信者獲得の為にあの手、この手と様々な技を使ってくる。

何せ一見すると経済セミナーのような体裁をした勧誘まであるのだそうだから注意しなければならない。