1986年、当時15歳の女子中学生が福井市で殺害された事件を巡って、殺人罪で懲役7年の実刑判決を受けて服役した前川彰司さん(46歳)が、裁判のやり直しを求めた再審請求が認められた。
この事件はたった25年前のものである。それなのに昨日のニュースを見ていたら、前川さんがやったという物的証拠は何もなく、知人の目撃証言を根拠にして逮捕したという。前川さんは捜査段階から一貫して否認していたのだというが・・・。
驚きなのは物的証拠が無いのに有罪になったということである。ニュースではこの知人の目撃証言がウソであったと本人が証言している場面があったが、かなり怪しげな目撃証言という状況証拠だけで殺人の有罪判決とは無茶苦茶である。
今回の再審請求も、恐らく、これまでの検察の態度だったら棄却するのであろうが、先の「村木事件」の証拠ねつ造などで検察の威信が大きく揺らいでいるから、世間の目を気にして再審を受け入れるのではないだろうか?
それにしても、たったの25年前なのに、こんな裁判が行われていたとは恐ろしいことだ。
検察は犯人をでっち上げることが出来てしまうことになるからだ。結局は、真犯人を逃すことにもつながるから、遺族にとっては居た堪れない気持ちになるであろうし、無実の人間を殺人罪で刑務所に入れるということは、その失った青春の時間や、犯人にされた家族の無念さは推し量ることも出来ない。
検察の横暴は、誰一人幸せにすることなく、ただ検察のメンツのみの為に他人を貶めているのだ。
冤罪は一番大きな罪である。
今回のことには裁判員制度もいくらか貢献しているという解説者の意見があったが、確かに裁判という一般常識の通用しない所に、一般人の見方が少しは入ったという効果はあるのかもしれない。
が、しかし、私は一般人が裁くという行為には依然として反対である。
裁判員に一般人の感覚を持たせるような仕組みした方が良いと今でも考えている。