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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2011-12-08-Thursday レーン・宮沢事件

北海道新聞朝刊で

12月5日から「12・8開戦の朝に レーン・宮沢事件から70年」という5日間に亘る特集記事が組まれているが・・・。

このレーン・宮沢事件(1941(昭和16)年12月8日真珠湾攻撃の日)とはスパイ容疑で北大構内に住んでいた英語講師ハロルド・レーン、ポーリン・レーン夫妻(夫妻共に当時49歳)と当時北大工学部2年生だった宮沢弘之(当時22歳)さんが逮捕された事件である。

この宮沢弘之さんの妹さんが、なんとアメリカコロラド州ボルダーでお世話になった秋間美江子さんその人であった。

2年ほど前に帯広に秋間さんが遊びに来られた時に、この事件の話を秋間さんからサワリだけ聞いたことがあったが、この新聞記事のようには詳細には聞いていなかったのだ。

今年も秋間さんは10月1日に突如、帯広に遊びに来られたが、この記事の事やインタヴューを受ける話はされていなかったから、5日の新聞で秋間美江子さんの名前を見て驚いたのである。

明日が連載最終回の5回目である。

これだけの内容の特集記事だから恐らく北海道新聞社からアメリカの秋間さん宅に直接送られるのだろうが、私も新聞を丁寧に切り抜いてアメリカの秋間さんに送ろうかと考えている。

さて、それにしてもだ。

当時の特高警察はかなり強引なことをやっていたという話は、他の事例でもよく聞く話だが、こんなでっち上げの犯罪で若い命を失った家族はとても悔しいことだろう。ましてや、戦争中であるから、スパイ容疑というのは「国賊扱い」だから家族はさも肩身の狭い思いをされたに違いない。

このブログにも何度も書いてきたことだが、未だに、現在も冤罪があるということは、百の犯罪を暴くよりも、一つでも冤罪は出してはいけないという司法の大原則が守られていないからだ。

おそらく、検察や警察の体質というものは、当時と大差ないということなのかもしれないし、一般人の感覚も変わっていないということなのではないか。

しかし、それにしても、身近な人に関わる、こんなヒドイ事件があったなんて・・・。

これは決して古い、過去の話なんかではないことを肝に銘じよう。

これからも冤罪は決して出してはいけない。