静岡県の富士宮市の市長さんら数名が、19日から帯広の北の屋台を訪ねて来て「富士宮市にも北の屋台を作りたい云々」と20日に帯広市役所に米沢帯広市長を表敬訪問して言ったという記事が出ていた。
私に連絡がなかったということは、北の起業広場協同組合の事務所に訪ねて行ったのだろうが・・・。
まぁ、現場を運営しているのは確かに組合だが、新しく作るとなると、彼ら組合の幹部連中に聞いても、彼らはコンセプトを作ったわけでもないし、ましてや理解もしていない。
全国各地で北の屋台をモデルにして誕生した屋台村は40箇所ほどもあるが、私が指導しても、細部の肝心な所はなかなか上手く伝わらずに苦労しているのに、ましてや、コンセプトをまったく理解していない人間から指導を受けたら・・・。
現在の私は現場を持っていないからということなのだろうか?
しかし、2007年3月末に北の屋台を離れてから、尚の事、客観的に見ることが出来たから、その後の私の方が、以前に北の屋台に関わっていた時よりも、冷静に指導することが出来ると自負している。
屋台というのは、先人が長い年月を掛けて積み上げてきた大きさや形や暖簾などにも全て意味がある。それ等を理解しないまま、改悪してしまう屋台村が多く、しかもそういう屋台村はことごとく失敗している。
事業を主導するリーダーが「不便さが生み出すコミュニケーション」をしっかり理解出来ていないと、中途半端に便利な屋台とは言えない、小さな飲食店の集合体を造ってしまうのである。
富士宮市の皆さん、きちんと然るべく人間に聞きなさいな。