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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2011-12-27-Tuesday 母の実家

叔母の葬儀で留萌に行き

母の実家の話を聞いたので忘れない内に書きとめておく。

母の父(私の祖父)上野兵次郎(M36.1903.07.12生-1967.06.18没、満64歳)は秋田で生まれた。兵次郎の父方の上野家は17代続いたそうだが、父親が他人の保証人になり親の代で財産を無くしたそうだ。兵次郎の母方の進藤家は秋田ではかなりの名家であったらしい。

兵次郎は小樽の海運業の会社に勤めており、小樽生まれの長谷川いね(M41.1908.09.29生-1975.10.11没、満67歳)と結婚している。私の母の隆子は昭和6年生まれ、次女の和子は昭和7年生まれ、23日に亡くなった三女の裕子は昭和10年生まれで3人とも小樽の生まれである。

兵次郎は留萌支店長として昭和11年頃に留萌に赴任する。昭和13年頃に三人の娘を嫁に出すにはサラリーマンでは難しいと考えていたところに樺太支店長への就任を打診され、遠い樺太に行くのは嫌だと、これを期に退社し、その退職金を元手にして(北海道で7番目に開業したという)「ダイマル洋装店」を留萌に開業したという。

「ダイマル」という屋号は兵次郎の母方の進藤家の屋号だそうだ。

いねは手が器用で和装、洋装のどちらもこなしたというが、いねだけでは洋装店は開業できないので腕の達者な女性2人を雇っての開業だったという。

昭和13年頃と云えばまだ和装が中心で、洋服を着る人が少なく最初の3年間は赤字が続き、もう閉店しようかと考えていた4年目からようやく黒字になり以後は発展したという。

洋装店の先駆けで、しかも同じ三姉妹ということで、母と次女の二人の昔話は、今のNHKの朝の連続ドラマ「カーネーション」の「コシノ三姉妹」に投影しているかのようであったが、「世界のコシノ三姉妹」と「留萌のウエノ三姉妹」とでは比べるのもおこがましい様な気もするのだが当人たちはいたって大真面目であった。

その後、ダイマル洋装店は順調に経営をし、三姉妹もそれぞれに洋装の技術を身に付けていったという。兵次郎はとてもおしゃれで粋な人だったそうだ。お酒も強く、スポーツもゴルフからスキーまで、また遊びもよくやったと言う。芸事も大好きで、3人の娘たちには、お茶、お花、琴、日本舞踊などを習わせたというのだ。

母や叔母らの話を聞いていると、この姉妹はたぶんにファーザーコンプレックスの傾向があるように見受けられるが、父親を尊敬するということは素晴らしいことであると思う。私も死んだ時に、娘達から良い父親であったと言われたいものだ。

母は、帯広で洋装店も営んでいた父とお見合いで結婚。次女は高校の同級生だった黒瀬求と恋愛結婚。三女も高校の同級生だった佐藤潔と恋愛結婚した。

次女の和子は結婚してから4年間は子宝に恵まれずにいたから、4人の子持ちである姉(私の母)に「一人分けて頂戴」と頼んだらしい。母に依ると「子どもは宝だから分けられないが、貸して育てさせても良い」と言ったという。和子叔母は「いいや、あげても良いと言った時に子どもを授かったんだよ」と若干の食い違いがあるが・・・。

和子叔母にも男女2人の子どもが生まれたが、長男は埼玉県の女性と結婚してその家に養子に入ってしまったし、長女は帯広に嫁いで来たから現在は留萌で夫婦二人きりで生活している。

三女の裕子は留萌の古い建設屋の山高佐藤建設の次男に嫁ぎ、二人の娘を生んだが、長女は新潟県の長岡に嫁ぎ、次女は札幌に嫁いでいるからここもやはり夫婦二人きりの生活であった。

以前から、母の二人の妹は「アンタは幸せだね〜、4人いる子どもの3人が近くに居てくれて」とよく言っていたものだが、年老いるとそう思うのかも知れない。

と云う訳で、次女が継いだダイマル洋装店は後継者がいなくて休業中、現在は、お得意さんから頼まれた仕事だけをしているようだ。

23日に亡くなった裕子叔母は、三姉妹の中では一番成績が優秀だったようである。二人の姉に言わせれば、姉の勉強を側で見ているから「門前の小僧、習わぬ経を読む」ということだと強調していたが・・・。

結婚前は実家のダイマル洋装店で働いていたが、結婚後は完全に専業主婦になったのでもったいなかったなぁとも言っていた。旧家に嫁ぐとその家の習わしに従わなければならないから大変であるようだ。

通夜の席でも叔父、叔母らは酒をほとんど飲まない下戸である。私一人でグイグイと酒を飲んでいるものだから、酒が強いのは兵次郎さんの隔世遺伝だねと言われた。

こういった昔話を聞いても書きとめておかなければ、私の子どもたちにも伝わっていかない。

どうも最近の若い連中は、過去の歴史を軽んじているように感じるが、ご先祖さまがいるから、今の自分が居るのだと言うことをもっと有難く感じなけらばならないだろう。この感謝の気持ちが足りないのが問題である。