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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2012-02-03-Friday 札幌オリンピック

40年前の今日、

1972(昭和47)年2月3日に札幌オリンピックの開会式があったとの記事が新聞に出ていたので当時のことを書く。

札幌オリンピックの当時は、私は中学2年生であった。

小学2年生の時から1学年上の姉と2人だけで列車に乗って札幌の伯父の家まで遊びに行っていた。姉は翌年からは行かなくなったので、私は小学3年生の時からは春・夏・冬の休みには、たった1人だけで札幌まで遊びに行っていたからいつもの調子でオリンピックを観に行くつもりをしていたのだ。

前年の1971年にはプレオリンピックを2人の同級生を引き連れて観に行ってもいたから、オリンピックも同様にへっちゃらだと考えていたのであるが・・・。

当時の大人気種目は何と言ってもスキーのジャンプである。笠谷に金メダルの期待が掛かっていたからだ。この他の種目で日本にメダルが期待できるような種目はなかったのである。だから次の人気種目は何と言ってもアイスホッケーで、その中でも一番人気のカードは因縁のソ連対チェコスロバキア戦であった(現在は、両国とも国名が変わったが・・・)。

クラスメートに声を掛けて、観に行かないかと誘ったら7人が乗ってきた。ところが、それが担任の教諭の知れるところとなり、生徒だけで一泊で観に行くのは学校として許可はできないというのだ。

何とか先生と交渉して日帰りなら許可するが、それでも現地で引率者が必要だとの事で条件が収まった。引率者は札幌在住の8歳上の従姉妹に頼んだが、しかし、大事なテストの日程が2月中旬頃にあるのである。

ソ連対チェコ戦はテストの前日辺りの日程だった為に諦めざるを得なかった。

日帰りという条件だから、学校を休んで行く訳にはいかないから、土曜日に学校が終わってから夜行列車で札幌に向かい、日曜日の早朝に札幌到着、午前中の試合を観て午後3時頃には列車に乗って帯広に戻らなければならない強行スケジュールなのだ。

なにせ当時は帯広ー札幌間は富良野経由で一番早い特急列車で4時間半も掛かったのだから・・・。

チケットの販売は西2条11丁目の角(現:ローソン)にあった交通公社である。真夜中に並んで一番乗りをしたのだったが、この条件に合う試合はアイスホッケーのBグループの試合しかなかった(どこの国と国との戦いだったかも忘れた)。私たちの後に並んだオジサン達が「お前らソ連対チェコ戦のチケットを買うのか?」と聞いてきたほどだったのだが、この切符なら別に一番乗りをして買うほどのこともなかったのに・・・。

同じ日に一番人気のスキーのジャンプの70m級があったが、これは午後まで掛かるので、これを観たら日曜日中には帯広に戻ってこられないからだ。でも、学校を休んでもこの70m級ジャンプを観ておくべきだった。なにせ日本人3選手(笠谷・金野・青地)が金銀銅のメダルを独占したのだから・・・。私一人なら学校をサボってでも観に行くところだったが友達を巻き込む訳にはいかなかった。

一生に一度、地元であるかないかというオリンピックぐらい、学校側としても教育上見せてやるべきだろうと思う。

学校で机の前でやる授業よりはよっぽど勉強になると思うのだが・・・。

その後、篠田正浩監督で映画になったのを皆で観に行ったが、友人達と同じ経験をすることは人生の財産になるなぁと思ったものだった。

そんな札幌オリンピックの思い出である。