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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2012-03-23-Friday 依田勉三

新聞で「依田勉三と晩成社」という

本の紹介記事が出ていた。地元十勝の郷土史研究家で今年1月に亡くなられた井上壽さんの著になるもので最後の出版物になるという。執筆途中で体調を崩されたとのことで、後を加藤公夫さんと云う方が引き継がれて完成させたという。

井上さんには、帯広の歴史の勉強会に講師として来て頂いたこともあるし、拙著「北の屋台読本」と「北の屋台繁盛記」や「十勝環境ラボラトリー」で出版した「場所の意志に学ぶⅠ、Ⅱ、Ⅲ」などを資料として欲しいと言われて謹呈したこともあったのだ。

「依田勉三(よだ べんぞう)(1853-1925)」と云っても、帯広市以外の方には馴染みの無い人物だと思うので、ごく簡単に経歴などを書く。

帯広は今年2012年が開基130周年の記念の年であるが、その開基は、明治16(1883)年に慶応義塾に学んだ静岡県伊豆の松崎町出身の依田勉三らが中心となって作った「晩成社」が帯広に入植した年なのである。

私が小学生の時には、依田勉三、鈴木銃太郎、渡辺勝ら晩成社の開拓の歴史が載った副読本が社会科の教科書になっていた。

その時分の副読本では、依田勉三は「開拓の祖」とか「拓聖」などと賞賛されていて、今日の帯広があるのは依田勉三のお陰げであるとの雰囲気であった。

しかし、今回出版された「依田勉三と晩成社」では、果たして依田勉三は本当に「拓聖」などと美辞麗句で祭り上げられるような人物だったのか?というところから出発している。

私も以前に井上さんから「晩成社の事業は失敗の連続で、何一つ成し遂げていない。帯広の開拓は刑務所の囚人らによるものだ」と聞いていたので、とても興味があったのだ。

まぁ、昔の人は刑務所の囚人に依って開拓されたというのは聞こえも悪いから、帯広開拓の英雄を一人作っておきたかったのだろうと思う。

これには帯広出身の歌手中島みゆきの祖父の中島武市氏の働きが大きいようである。

まぁ、この本の内容は資料の様で読み物としてはあまり面白くないが、一見の価値はあると思う。

依田勉三と云う人は、目の付け所は素晴らしいと思うし、気宇壮大な夢を持ったロマンチストではあったのだろうが、マネジメント能力と粘り強さと云うものが欠如していたのだろうと思われる。

人の評価と云うものは時代に依って変わるものである。誰かが何かの意図で評価を捻じ曲げたとしても、いずれは正しい評価がなされるのだ。5年前まで私が所属していた某組織でも、私という存在を消して、今運営している連中が造ったことにしようなどと画策しているようだが、いくらなんでもそれには無理があるっていうものではないだろうか?

余所の人達にならいざ知らず、帯広の市民にならそんなウソはすぐにバレることだろう。

開基130年を期に晩成社の評価が変わるかもしれない。