やはり寂しいものである。
バニーの居た部屋の前を通る度に、部屋の中を覗いては「あぁ〜そういえばバニーちゃんは死んじゃったんだなぁ」と思い直す。バニーが寝付いてしまってからの毎日の習慣になってしまっているようで、これは妻も一緒である。その度に寂しい思いがする。これはペットロス症候群の前兆であろうか。
昨日は「ペットエンゼルおとふけ」の鈴木さんが夕方の18時半頃にバニーの遺体を引き取りに来てくれて、幕別町古舞の「ペット霊園やすらぎ」で火葬してくれて21時半頃に届けてくれた。
このペット霊園は一昨日、昨日と改装工事中でお休みだったというから、これまた驚いた。バニーが改装後の火葬第一号だという。まるで、火葬場が新しくなるのを待っていたかのようで、バニーちゃんらしいねぇ〜と妻と二人で通夜をしながら話した。アルバムの写真を見ると、子ども達がそれぞれ9、7、6歳の時から飼い始めたから子どもの成長にも貢献してくれたと思う。
色がイエローだったサニー君は顔の表情が写真にも写り易いが、黒いバニーちゃんは表情が写り難いので、いわゆる写真写りの悪い犬であった。どこが目だか口だかが写真では判別し難いからである。写真の中から一匹だけで写っている顔が判り易い写真を探して額にいれて、戻って来た骨の前に飾り、線香を焚いて供養した。
バニーの骨は、胸の辺りが黒く残ったと云う、人間も病気の箇所の骨は黒く残ると云う。バニーは肝臓が悪かったし、胸に腫瘍もあったから、そのどちらかであろう。
バニーの鳴き声はここ最近は聞いたことがない。それほど我慢強い犬であったが、さすがに死ぬ前日辺りからピーピーと泣き始めた。これはサニーの死ぬ前と一緒であったから、きっと犬は、自分はもうじき死にますという合図を飼い主に送っているのかもしれない。
サニー君の時も「ペットエンゼルおとふけ」の鈴木さんにお願いしたが、対応がとても丁寧で、家族の一員として長年一緒に暮らしたペットを、送り出したいという家族の気持ちを良く理解してくれているから報われる。死んだペットをモノのように扱う業者にだけは葬儀をさせたくなかったのでこの点は安心であった。
ラブラドール・レトリバー犬は、優秀な犬とおバカな犬とが極端に現れる犬種なのかもしれない。我が家のサニー君はおバカ犬の代表みたいな犬であったし、バニーちゃんは我が家に飼われなかったら、盲導犬か麻薬犬にでもなっていたか、フリスビーとかアジリティーなどで活躍したかもしれないほど優秀な犬であった。
だから、バニーちゃんは我が家に飼われたことが本当に幸せだったかは判らないところだ。
それでも、子どもの成長と共に16年間も一緒に暮らせる事が出来て、私達家族は、サニー・バニーにはとても感謝している。子ども達もきっとそう思っていることだろう。
バニーちゃんの戒名を「賢潔院麗兎大姉」と付けてやった。サニー君は「無玉院陽光居士」と付けたから、差がありすぎるかも・・・。
安らかに眠れ!合掌