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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2012-10-19-Friday 北海道土産

ここ最近頻繁に

「熊の木彫りが欲しいのだが・・・」と云うお客様からの問い合わせが増えているが・・・。

我が社の商事部門である「坂本商事株式会社」は創業が明治37(1904)年であるから、もう既に108年になる老舗である。

私の祖父である山梨県北巨摩郡出身の「勝」が明治34年に北海道移住の夢を持って、16歳の時に単身で十勝に視察に入り、明治36年に準備を整えて十勝の池田利別に渡って来た。

翌37年に池田利別で「坂本勝玉堂」を創業、鉄道開通と共に明治38年に帯広に移転し現在に至るのである。

元々は、山梨出身だけに「印鑑屋」であったが、十勝で多数産出する「黒曜石(通称:十勝石)」を印鑑彫りの技術で加工し、「十勝達磨」や「風鎮」「硯」などを制作して、本州で販売し「十勝石」の名前を広めたところから北海道土産品を扱うようになり、木彫品の販売なども始めたのであった。だからおそらく北海道の中では土産屋としては一番古いのではないかと思われる。

私がまだ幼少の頃(自宅兼店舗が火事で焼失する昭和42年まで)は職住一致であったから、鮭を喰わえた熊の木彫りが毎日、毎日数個も売れたことを記憶している。当時は新婚旅行に北海道を訪れた人達は皆、おみやげに熊の木彫りを買っていったものだった。当時は旅行というものが一生の内に数度しか出来ないという時代であり、旅行に行く人達に「餞別」を渡すと云う習慣があった。餞別をもらったからには、お返しにお土産を買って帰るのが常識であったのだ。

また、当時の家はまだまだ大きく広い一戸建ての家が多く、床の間なんていうものがあったし、棚などを置けるスペースも十分に存在した。普及し始めたテレビの上にも人形などを飾るスペースもあったのである。それが、核家族化して家が狭くなり、テレビも薄くなってモノなど置けないようになってしまった。

お土産は、口に入れて消化したら無くなる「食べ物」に取って替られたのだ。不必要な人形や木彫りなど貰っても迷惑だという風になっていったのである。

木彫り職人の高齢化と云う問題もある。工場も、作っても売れないから生産量は減っていき、後継者もいないから遂には廃業するところが続発した。いまや、北海道で熊の木彫りを造っている人は、阿寒や白老などで個人的に彫っているか、旭川で細々と運営している2〜3社しか存在しない。だから問屋にも熊の木彫りの在庫なんてものは置いていないから急な注文にはまったく対応が出来ないのである。

タマ〜に熊の木彫りが欲しいと云われても、その為に在庫を抱えている訳にはなかなかいかないのが現状なのだ。

我が社は、十勝のみやげ品の普及に努めようと、帯広千秋庵(現:六花亭)・柳月・竹屋・豆総・坂本商事の5社で「帯広みやげ名店会協同組合」を設立して、帯広駅や帯広空港に共同で出店をしていた。

しかし、ここ最近のモノとしての土産品販売の低下や、中国、韓国などの客の減少などで木彫りなどはまったく売れなくなっている。

帯広空港の「名店会」も今年の3月には豆総が廃業し、4店舗に減った。

10月末には六花亭が単独で帯広空港に店舗を造って脱退することが決まった。我が社も10月末で脱退することにした。

時代の流れとは云え、寂しいものである。