«前の日記(■2012-10-17-Wednesday) 最新 次の日記(■2012-10-19-Friday)»
 | トップ |  | ビル概要 |  | テナント構成 |  | 沿革 |  | アクセス |

観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2012-10-18-Thursday カンボジアの

カンボジアのノロドム・シアヌーク

前国王(89)が15日未明に療養中の北京で死去したと云うニュースが流れた。

私は、これまでカンボジアを3回訪れているが、いずれもアンコールワットの近辺のシュムリアップという町だけで、首都のプノンペンにはまだ行ったことがない。

(何故に3回も訪れているのかは、ここでは割愛するが興味のある方はこのブログの前の方に詳しく書いてあるのでそちらを読んでいただきたい)

シアヌーク前国王の息子である現シハモニ国王の顔は、2007年10月に訪れた時に、「(通称)シハヌーク・イオン博物館」の開館式典に出席した際にすぐ近くで拝見したことがあるが、シハヌーク前国王の姿はこれまで直接に見た事はない。が、しかし、カンボジアを訪れる前に、一応サラッと勉強したカンボジアの歴史においては、シハヌーク前国王のことを高く評価しているようには感じられなかった。

新聞等ではカンボジア国民はシハヌーク前国王のことを「国父」と慕っていたと報道していたが、私はむしろ現在のカンボジアの混迷を招いた元凶ではないかとさえ思っている。

シハヌーク殿下は18歳で即位し、1953年にフランスからの独立を果たした。55年に首相に就任、70年に米国の支援を受けたロン・ノル将軍によるクーデターで追放され中国に亡命。その中国の支援を受けたポル・ポト派と組んで75年には帰国するも、ポル・ポト派に裏切られて幽閉されてしまう。

79年にポト派政権が崩壊し、親ベトナムのサムリン政権が誕生したことで再び中国や北朝鮮に亡命する。

91年にパリ和平協定で内戦が終結したことで帰国し、93年には国家元首に就任、その後国王に帰り咲いた。

90年代後半には、息子のラナリット殿下が、現首相であるフン・センとの権力闘争に敗北した。

フン・セン現首相はシアヌーク前国王を敬愛する姿勢をみせることで国民に支持を得てきたが、国王の政治的影響力は著しく低下した。

シハヌーク前国王は言動を頻繁に変えることなどから「気まぐれ殿下」と云う不名誉なあだ名をつけられるほどだから、きっと自分の信念が無い人だったのではないだろうか?自らの保身の為にその場しのぎのことをやって結果的にポル・ポトによる大虐殺という暗黒の時代を迎えてしまった。

この内戦による傷痕はいまだに癒えてていない。カンボジアのあちこちには依然として地雷が沢山埋まっていて、人々が犠牲になっているのだ。

現在のカンボジアは賄賂が横行する国として世界のワースト3に入るとの噂もある。

現シハモニ国王は2007年に拝見した時にはまだ独身とのことだったが、気品のある立ち居振る舞いで立派な方のように拝察した。政治家の権力争いに振り回されることのないように、王室の気品と権威を守ってもらいたいものである。きっと、カンボジア国民もそんな王室を望んでいるのではないか思う。