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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2012-10-30-Tuesday とかち帯広空港

とかち帯広空港に

「帯広みやげ名店会協同組合」の一員「民芸品のさかもと」として出店していたが、今月一杯で退店することになり、29日の最終便が飛び立った後に、商品を引き上げに行った。

19時に自宅を出て空港に向かったが、空港までの道のりはものすごい霧である。自動車のライトを遠目にすると真っ白になって全く前が見えないから、近目にして前のめりの体勢になってユックリと運転していった。

「帯広みやげ名店会」は昭和42年頃に「坂本商事(民芸品)」「帯広千秋庵(菓子)(現六花亭)」「柳月(菓子)」「竹屋(菓子)」「豆総(豆菓子)」の5店で協同組合を設立して旧帯広空港に出店したことに始まる。

これ以前に、当時父が十勝観光協会の副会長を務めていて、本州などのデパートなどで十勝物産展が開催される時に十勝の観光菓子や土産品などの店を集めて出店していたのがベースになったのである。

帯広空港が開港した際に、空港が狭くて売店のスペースが取れないという空港会社に、帯広の土産物を置かない空港があるかと、出店交渉をして小さなスペースを確保したが、場所が狭いところにショーケース2本分のスペースしか取れないので5社で相談して協同組合を作って出店することにしたのである。

その後、帯広駅が改修された際に、ステーションデパートが作られ、そこにも「帯広みやげ名店会」として5社で協同出店したのである。

いずれの会社も先代達が仲良く商売をやっていた。ライバル同士である同じお菓子屋が4社集まったが、1社だけ「さかもと」が異業種だったから緩衝材的な、もしくは接着剤的な役割を果たして上手く機能していたようである。

5社の会社全てが先代が亡くなり、2代目3代目の時代になって、会社も大きくなり、昔のようにはいかなくなってきたのは時代の流れかもしれない。

今年の2月頃に、豆総さんの工場が火災で焼け、社長の体調不良ということもあって廃業することになり、名店会も5社から4社に減った。

これを機会に六花亭が名店会から脱退して単独で店を出したいということになり、「さかもと」も今月末で脱退することになったのだ。

帯広空港のような地方空港では客数は少ない。一般客がわざわざ空港まで買いに来るわけもないから、当然ながら客は搭乗者の中の数パーセントしかいないのである。1日6便の東京ー帯広便だけでは乗降客も限られているところに、道東高速道が開通したから、安くて便数も多い新千歳空港に自動車で行ってしまう人が増えた。

土産品もかつての熊やアイヌの木彫人形などは、買う人が居ないから工場や問屋も廃業するところが多い。もはや土産品は食べたら無くなる場所を取らないお菓子が主流なのである。

先代が腐心して作った名店会を辞めるのは心苦しいがやむをえない状態でもある。残った店には頑張って続けてもらいたいと思う。