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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2012-11-05-Monday マラソン

4日日曜日に帯広市内で

「第一回フードバレーマラソン大会」が開催された。

天気は快晴、気温もスタート時の9時の時点の気温が10.4℃と平年よりも4℃ほど高目だったが風が7.9mとかなり強かった。

しかし、スタート地点の藤丸前に3000人からのランナーが集まった様は壮観であった。第一回大会ということもあるのだろう、遠く沖縄からの参加者もいると云うから、いかにマラソンがブームなのかが判る。

最初に企画を立てた者としては大会が開催出来て感無量である。

そもそも、このマラソン大会の企画は2年前の2010年8月中旬に、旧知の札幌の道新記者K氏が持ち込んできたものだった。

K記者は2000年に帯広支社に居たことがあり、マラソンが好きな人であった。ちょうど私が「北の屋台」を企画して準備している時であったが、取材していたK氏が、私に合わせたい人が居ると歌手の高石ともやさんを連れて来たことがあった。高石ともやさんは「受験生ブルース」で一世を風靡したフォーク歌手で、この時にはマラソン大好き人間として有名でもあった。帯広市内の居酒屋で一緒に酒を飲みながらいろいろな話をしたが・・・。

そのK氏から突然私に電話が入った。「明日帯広に行くからとにかく時間を作って欲しい」とのことだった。会ってみたら「帯広でマラソン大会をやりたい。スポンサーは、来年2月に帯広ー東京便を開設するエアードウだ。開設記念事業としてマラソン大会をやりたい」と云うのである。

私は、「歩くことは好きだが、走ることが好きではない。学生時代もマラソン大会はまともに走ったことがない」からと断ったのだが・・・。

K氏曰くは「マラソン大会はお金が掛からないし、スポンサーもいるんだから大丈夫、問題は警察だけだから」と云う。

すぐ、その場で力になってくれそうな連中に電話して私の会社に来てもらい。どうするかを検討したら、やるだけやってみるかと云うことになった。その後、2011年10月末頃の開催日程を決めて、警察、市役所、十勝支庁、各種関係団体などを巻き込みながら企画を進めていったのだった。しかし、最終的に経費が掛かり過ぎると云うことが判明、警察も周遊コースは警備上の問題があるとOKしてくれない。

結局、2011年10月の開催は断念することになった。

この時に力になってくれた市役所の仲間が、来年は帯広市が開基130周年と云う節目の年だから、何とか予算を付けられるかもしれない。という話になっていった。何度か大変な思いをしながらも、ようやく今回の開催にこぎつけることが出来たのであった。

この辺りの事情を知っている仲間からは、「パンフレットに坂本の名前がないのは何故だ?」と言われたが、私は組織と云うものに属していないから、団体からの役員で構成するマラソン大会の役員に入ることは出来ないのである。

まぁ、大会が無事に開催され、成功裏に終わり、来年以降も開催されるならそれだけで十分である。