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坂本和昭のブログ


■2012-11-29-Thursday 勝毎「論壇」

2012.11.26 十勝毎日新聞「論壇」掲載

「宮澤・レーン事件」

太平洋戦争中に北大で起きた「宮澤・レーン事件」というスパイ冤罪事件をご存じだろうか。

日本軍がハワイの真珠湾を攻撃した1941(昭和16)年12月8日、全国でスパイ容疑による検挙が始まり、170人(うち日本人61人)が逮捕された中に、当時、北海道帝国大学2年生だった宮澤弘幸さんがいた。宮澤さんは同大英語教師の米国人ハロルド&ポーリン・レーン夫妻に根室の海軍飛行場の存在を漏らしたとして、3人とも「軍機保護法」違反容疑で特高警察に逮捕された。

この飛行場の存在は新聞でも報道され、周知の事実であったにもかかわらず、宮澤さんは懲役15年の判決を受け、終戦2ヶ月後の45年10月に出所。しかし、栄養失調と肺結核のために47年2月22日、無実を証明する前に27歳の若さで無念のうちに亡くなった。

この宮澤弘幸さんの妹が、アメリカのコロラド州ボルダー市に暮らす秋間美江子さん(85)である。秋間さんとの出会いは95年。当時、帯広青年会議所の「国際環境大学構想プロジェクト」の担当だった私は、コロラド大学を中心とした、帯広の森に似た「オープンスペース」を持つボルダー市を視察しに9人で訪れた。そのときに秋間浩・美江子夫妻にはとてもお世話になり、以来、家族同士で互いに行き帰する間柄となった。

この秋間さんから、事件のことを聞いたのは2年前の来日時。ボルダーに移住した理由の一つには終戦後も世間は宮澤家を「スパイだった」という白い目で見続けたことにあったという。浩さんは戦争中も日系人差別をしなかったコロラド州を選んで、そこの研究所に行ったのだという。頭脳流出の一事例だ。その浩さんは10年前に亡くなった。

弘幸さんの裁判記録は、進駐軍が来る前に、米国人レーン夫妻に関わる問題もあってか処分されてしまい、残っていないがために再審請求は困難な状況にある。

10月下旬、美江子さんが来日した。目的は弘幸さんが学生時代に作った思い出深いアルバムを北大に資料として寄贈して、若い人たちにもこの事件に関心を持ってもらうためだという。きれいな字で詩なども書き込まれて整理された素晴らしいアルバムだ。几帳面な方だったことがうかがわれる。美江子さんは高齢だし、がんの手術を数度も受けている身だ。日本にやって来られるのはこれが最後かもしれないという。冤罪は被疑者のみならず家族、親類などにも大きな負の影響を与えてしまう。冤罪は絶対に起こしてはならない。微力ながら弘幸さんの名誉回復のお手伝いができたらと思っている。