15:05長崎空港発の便で戻るので、13:30くらいまでは長崎市内観光が可能だ。
今回もタクシーを使って観光することにして、これまでにまだ見ていない所を見る様に計画したが、2時間もあれば十分かと思って10:00にホテルに迎えに来てもらうように予約。それまでに荷造りを済ませる。
10:00からまずは長崎歴史博物館に行く。
ところが、これが面白い。もっと展示物をジックリと見ていたかったのだが、時間が足りない。これなら、もっと早い時期に見ておくべきだったと妻が云う。暗に私のプランの立て方がマズイということなのだろう。私も素直に反省。どうやら観光の順番を間違えてしまったようだ。最初にその町の歴史など見てから、観光した方がより判り易かったのにと悔やまれた次第。
1時間居たので昼食は空港で取ることにして時間を延長して3時間コースに替えてもらった。次は日本二十六聖人殉教地→長崎原爆資料館→平和公園→浦上天主堂を見てホテルに戻ってもらった。
原爆資料館は広島市の方が凄かった。広島の資料館は見学していて涙が止まらなくなったが、長崎の展示は意外とあっさりとした展示で、ウルウルとは来たが、涙が溢れるほどでもなかった。
原爆の威力としては、広島のウラン型よりも長崎のプルトニウム型の方がはるかに大きかったはずだが、長崎は四方を山で囲まれていたから被害が拡散せずに被害そのものは広島よりも少なかったからだろうか?
原爆投下はアメリカがせっかく造ったのだから、どうしても2種類とも実験したいと思ってやったのであろう。人体実験そのものである。よくこんな非人道的な行為が出来たものだと思う。
資料館を出る頃に雨がパラついてきた。私の代わりに空が涙を流したのかもしれない。天気予報では長崎に居る間は雨マークばっかりであったが、実際に傘を差したのはこの資料館を出るときだけ、それとてタクシーの運転手が傘を貸してくれたから差したのだが、私の晴れ男はまだ威力が残っているようである。今回もほとんど降られることはなかった。
13:00にバスターミナルを出て13:45に空港着。全国的に天候が悪いようで、飛行機が遅れている。
揺れることを想像していたがさほどでもなく羽田に到着した。
羽田での乗り継ぎは余裕を持って1便遅くに予約していたのである。
帯広便の最終便が出発するころになって放送が入り「帯広空港周辺が深い霧が発生し、降りられない可能性がある。羽田に戻るか千歳に向かうことも了承して・・・」というアナウンス。妻は心配して「だから最終便は切りで降りられないことが多いから嫌だって言ったのに・・・」と文句を言う。「私は晴れ男だから大丈夫だ。これまで目的地以外の場所に降りたことなどないから」と言っておいた。案の定、この飛行機が降りる時だけ霧が晴れて無事に到着したのであった。
今回の長崎旅行は、旅程を詰め込み過ぎてハードであったが、その分充実した旅であった。長崎は若い内にしか行けないところだ。足や膝が悪くなったらとてもじゃないが行く気にもならないだろう。今回行っておいて良かったと思う。