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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2012-12-09-Sunday 法事2

留萌での一周忌の二日目である。

風の音とベッドの固さに慣れなくて眠れなかったから、かなり身体も頭も辛い。

旅館の朝ご飯はとても美味しかったが、給仕をしてくれる女性が、私と母を見て「ご主人様・・・」と云うので噴き出してしまった。いくらなんでもこんなに年下の亭主は居ないだろう。母が若く見えたのか、それとも私が老けて見えたのだろうか・・・。私が若いツバメに見えたのかもね。

法事は叔母の家の前の急な坂道を昇っていったところに建つお寺で行われた。この坂道がスキー場かと思うほどの角度がある坂である。よくこの坂道を冬に昇り降りしているなぁ〜というのが正直な感想だ。

先週行った長崎も坂道が多かったが留萌もスゴイ。しかもこちらは冬には雪が積もるのだ。もしも留萌の気温が帯広並みの寒さであったなら、もしもこの坂道の路面がカンカンに凍っってしまったらと想像すると空恐ろしくなった。

歩行者が坂のテッペンで転んだら、そのまま下まで100mほど滑落するのではないだろうか?

もしも坂の途中で自動車が立ち往生したら・・・。

母は昔はこの坂道をスキーで昇り降りしたんだよと言っていたが・・・、留萌の気温が帯広並みに低くなったら、ここは人間の暮らす場所ではない。去年の土地の値段の下落率の第一位が留萌であったと言うが、さもありなん。値段を付けた人の気持ちが分かる気がする。

法事はお寺に立派な会館があって、そこに30名程が出席してこじんまりとおこなったのだが、天井から暑い風が首筋に吹き降りてくる。出席者は皆かなり暑かったのではなかろうか?私も汗をかいてしまった。

留萌の親類らが「この嵐の中、遠いところから大変だったでしょう?留萌の冬は風が強くてね〜。でも一昨日の方が風が強くて、屋根が風で飛ばされてしまった家が何軒かあったんですよ」と言う。「去年の裕子さんのお葬式の日もスゴイ嵐だったけど、今日の法事もスゴイ嵐ですね〜。こんなに荒れるのは、そうはないんですけどね〜」と言うから、よっぽどヒドイ時ばかりに来ているようだ。

留萌には小学生の時には何度か家族で、夏に海水浴には来た事があったけど、冬に来たのは去年のお葬式が始めてであった、それが、来る度にこの大嵐にばかり当たっていることになる。留萌の冬は人の住むところではないと感じたほどである。

法事が終了して、泊っていた旅館でおときである。叔父が挨拶したが、かなり消沈している様子である。叔母とは高校の同級生同士で48年間連れ添った仲だ。仲の良い夫婦であるが、子どもは娘が二人。その二人とも留萌からは離れた土地に嫁いでいるから寂しさもひとしおなのだろう。77歳で男ヤモメというのは傍目にみても寂しそうである。

母の次妹も二人の子どもが留萌を離れているから、母に向かって「アンタは幸せだねぇ〜、4人の子どもの内3人が帯広に居て、しかもこうして付き添って留萌まで来てくれるんだから・・・」と言っていた。

昔話や思い出話に花を咲かせて、15:00発の都市間バスで札幌駅に向かう。今日も雪がパラツイてはいるがバスは走っている。だが、札幌方面は天候が荒れている模様である。32分遅れで18:40分に札幌に到着し、晩飯を駅の地下で食べて、19:45発の列車に乗る為に駅の改札口に向かうが、大嵐の影響でダイヤがかなり乱れている様子である。30分遅れで札幌を出発した。トマムを過ぎたところで急ブレーキが掛かった。鹿でも撥ねたかと思ったら案の定であった。車内放送では鹿の親子を撥ねたが、その鹿が車体の下に潜ってしまい取り出せないと云う。およそ1時間も掛かって、ようやくその鹿を取り出した。トマム近辺は携帯電話が通じない場所が多いのだが、幸い電話が通じたので、妻とメールを頻繁にやり取りして時間を潰したのであった。結局、帯広に到着したのは、2時間遅れの24:10であった。かなり疲れた〜。

妻が駅に迎えに来ているが、駅前が除雪していないから母を車まで連れて行くのがまた一苦労である。

自宅は妻が何度も除雪したという。帯広もかなり降ったと言う。

どうも裕子叔母ちゃんの法事はスムーズにはいかないようである。