お父さんである孝有さんとは不思議な縁で知己を得た。
先のブログにも書いたので詳細は省くが、私が1995年に帯広青年会議所の「国際環境大学構想プロジェクト」担当副理事長として、アメリカコロラド州ボルダー市に、コロラド大学の視察に訪れた際に、現地に暮らす秋間浩・美江子夫妻には大変にお世話になった。
一方、1985年、泰史さんが20歳の時にボルダーで登山中に複雑骨折をして現地の病院に担ぎ込まれた際に、その病院のボランティアをしていた秋間美江子さんにお世話になったと云う。
アメリカの病院は日本の病院とはシステムがかなり異なる。要はお金の有無で治療法が全く変わるのだそうだ。
登山には親からも含めて、一切の援助は受けない。登山で親に迷惑は掛けたくないという姿勢の泰史さんは、この時、秋間さんの執拗な説得を受け入れて日本に居る父親の孝有さんからの援助を得て手術を受けた。
この時の骨折は粉砕骨折と言われる重症なもので、もしも孝有さんからの治療費援助がなければその後の泰史さんの活躍は無かったかもしれないのだという。
その後、これが縁で山野井家と秋間家は親しくお付き合いが始まったのだということだ。
その秋間美江子さんのお兄さんの宮澤弘幸さんは1941年12月8日の真珠湾攻撃の行われた日に、北大の門前でスパイ容疑で特高警察に逮捕された。世に云う「宮澤・レーン事件」である。
これは全くの冤罪で、当時の特高が点数稼ぎの為にでっち上げたものであった。
秋間さんは山野井孝有さんに付き添われて、今年の10月23日に北大を訪れてお兄さんの写真アルバムを寄贈しているが、その前日に札幌で「秋間美江子さんを囲む会」が開催され、私たち夫婦も出席してきたのである。
だから、私と山野井さんは秋間さんを媒介としてのお付き合いということになる。
その宮澤弘幸さんの名誉回復をしたいと有志が集まって活動をすることになり、私も幹事に名前を連ねることになった。
山野井さんやその友人の方々とメールのやり取りをしていたが、先日、山野井さんからご自身が書いた「いのち五分五分 息子山野井泰史と向き合って(山の渓谷社刊)」「白夜の大岩壁に挑む クライマー山野井夫妻(NHK取材班)(NHK出版刊)」「NHK BS-hi ハイビジョン特集 白夜の大岩壁に挑む クライマー山野井夫妻(DVD)」が送られて来た。
まずはDVDを見て、次に「いのち五分五分」を読んだ。
壮絶で、ストイックであるが、屈託の無い表情で山を語る泰史さんの生き方は、現代社会ではかなり異質な生き方であろう。本当に山が好きなんだなぁということが分かった。
だが、私は脚立の上に昇るのも苦手な、やや高所恐怖症気味である。命を掛けてまで山に登るクライマーの気持ちはまるで理解することは出来ない。
よくクライマーズ・ハイとかランナーズ・ハイとか云う言葉を耳にする。極限の困難、身体的疲労などが起きた時に、脳内にその苦痛を和らげるホルモンだかが分泌されるらしい。私は登山もマラソンも苦手だからそういうモノを経験していない。
私でいえば、マジックのステージでスポットライトを浴びている高揚感が少しは似ているのかもしれないが、ステージでは死の危険性なんてものはないから恐らく全く異なるモノなのだろう。
しかし、そう云う息子を持った父親の気持ちは、少しは理解することが出来た。
山野井さんからの手紙には沢木耕太郎著「凍(とう)」を読んでほしいとの一文もあった。「いのち五分五分」を読んで興味が湧いてきたので、早速ネットオークションで落札した。2〜3日後には届くだろう。
今から楽しみである。