帯広市のメインストリート平原通り(西2条通り)の10丁目のかじのビル1階に居酒屋の「和民」が4月から入居すると出ていた。
ここ最近は平原通りに居酒屋の出店が多い。
それの端緒はお前だ!と言われそうだが・・・。
平成4年5月2日に父が亡くなり、それまで「サニーデパート」と称していた寄り合い百貨店の物販中心のビルのシステムをガラリと方針転換し、飲食店中心のビルに大転換することにした。
帯広のような地方都市では、もはや中途半端な物販のテナントビルは需要がないと考えたのである。
およそ1年掛けてコンセプトを作り、多大な費用を掛けて大改装を敢行した。物販ビルと飲食ビルでは、特に上下水道など水周りの設備が大幅に異なっているからである。
自分としてもかなり思い切った180度の大転換であった。
改装中から情報発信を積極的に行い。その甲斐あって、改装が終わった時点で、地階に「つぼ八」、1階に「いろはにほへと」、2階に「白木屋」、3階に「魚民」とワンフロアーずつ大手の居酒屋が入居することが決まったのであった。
私のビルの建坪はワンフロアーがおよそ200坪であるから、通路などの共用分を除いても150坪ほどの広さがある。こんな大きな面積の居酒屋は当時の帯広には存在していなかった。それが一度に4店舗もの巨大な居酒屋が一つのビルに入居するというので、全国的に話題になったほどであった。
中には「食い合い、潰し合いで何処かがすぐに撤退するさ」という声も多数聞こえてきたが、私は相乗効果の方が大きいと判断していた。案の定、坂本ビルに行けば何とかなると、帯広の市民からは歓迎されたように思う。
これがかれこれ20年前の話である。
ただ、私はメインストリートに面したビルのオーナーとしての責任と役割があると考えていたから、昼間にシャッターが下りているのは他の物販店の迷惑になると思い、平原通りに面した部分にはファッション店を入居させたのである。
しかし・・・。
ここ最近の平原通りへの居酒屋の出店は全てが路面店である。
これでは昼の商売は難しくなってしまう。
お前が火を付けた居酒屋出店の波なのにと言われそうだが、コンセプトはまるで違うと自負している。
空いているから仕方ないではないか云々と開き直ってしまうのでは、商店街としての自殺行為になる。
物販のテナントが見つからないのは時代の流れであろうが、通り全体のコンセプトを早急にしっかり作らないと平原通りが夜の街になってしまうであろう。