故ジミー忍師の奥さまのマコママから、段ボールが4箱届いた。
どれもやたらと重たい。書籍類は全て送ってもらったはずなのにと思って中を開けて見たら・・・。
「SHOW in JAPAN ショウ イン ジャパン」という芸能人紹介の総合誌であった。
1969年昭和44年の7・8月号からズラ〜ッと揃っている。その一番古い号(第二巻第4号)を見ると、「会報」となっていて「購読会員制非売品」と書いてあるから、芸能関係者が購入していた本なのであろう。私もこれまで古本屋でも見たことがなかった本である。
その本の1ページ目全部に「島田晴夫&ディアナ」さんが載っている。「日本を3年程、留守にした島田晴夫が美しい夫人を連れて帰国しました。マネージメントは新日本芸能までどうぞ!」とのうたい文句である。
島田さんもまだ若々しい姿だ。
師匠のジミー忍師も何故だか「ジミー&シノブ」男女のペアとして載っている。遠山プロダクションという事務所に所属していたようだ。
当時の宣伝用の写真にはマコママも一緒に写っているから、それでどうも「ジミー忍」という名前を「ジミー」と「シノブ」という男女二人のペアの名称と勘違いしたようである。と思って早速マコママに電話して聞いてみたら「あんまり良くは憶えていないけど、芸名の付け方っていい加減なところがあって、当時のプロダクションの社長がジミーとシノブで2人分の名前で良いじゃないか」ということらしい。本人達もいちいち直すのも面倒臭いから、そのままでしばらくはやっていたそうだ。だから最初は先生がジミーでマコママがシノブだったことがあるそうである。ジミー先生の顔にはまだ髭が無いのも面白い。
その他にも大勢のマジシャンが出てくる。
この他に、歌手、落語家、漫才師、ボードビリアン、ストリッパー、アクロバット、ジャグラー、女子&小人プロレス、外人芸能人などが写真付きで出ているから、見ていて飽きない。整理しながらついついじっくり見てしまって作業がはかどらないこと。
きっと、当時は全盛だったキャバレーの関係者がこの本を見て、出演者を決めていったのかもしれない。
最初は370頁ほどの厚めの本であるが、芸能人の人数が増えていったのだろう。厚くなり過ぎて1冊には収まりきらなくなったのか1972年新年号(第21巻)からは「バラエティ」部門と「音楽」部門の2冊のペアになったようだ。
40年前の芸能界を裏側から見ているようで何とも楽しくて貴重な資料が届いたものである。