古来から言われていることである。
ある方からメールをいただいた。
『既得権の維持とか、現状の利益の維持といった、短期的で狭い視野に凝り固まり、本来の「あるべき姿」を見失ってしまった事業体がたどる末路は、多くの事例が示している。
「商品やサービスの質の低下、マンネリ化」→「顧客の減少」→「利益減少」→「商品やサービスの質の低下、マンネリ化」といった縮小均衡の悪循環に陥っていく。
理念が失われたときから、こうなることは、ある意味、予定調和で必然化されていたのかもしれない。悲しいことだ。』と
また別のある人は『「志」が価値の源だと思います。「ブランド」「商品」「店」「企業」ひいては「国」「個人」だって、「いかにありたいか」で未来は変わります。「こうありたい」と努力して工夫するから、お客様を喜ばせ続けることができるのであって、たまたま得たものだけでずっとできるわけではないですよね。』
私も同感だ。
形だけが残れば良しとする誤った考えを「形骸化」という。
創業の理念も志も捨てて、ただの不動産業、飲食業にしてしまうつもりなのだろうか?
果たしてそれで胸を張って「まちづくり」と言えるのだろうか?
悲しいことである。
恥ずかしいことである。
腹立たしいことである。