明治時代の奇術師で、日本近代奇術の父とも言われる「松旭斎天一」の書がようやく読み解けた。
右上に落款の関防印が押され、大きく4文字が右から左に横書きされてあり、その左側には縦書きで4文字書いた年月が書かれてあり、その横に「天一」の署名と落款の白文印と朱分印が押されている。
あまりにも達筆なのと篆刻の文字が読めなかったのだ。
右上の落款の関防印は『松旭斎』と読める。
大きな漢字の四文字を当初、私は右から「唯 花 酔 月」と読んだのだが意味が通じない。最初の「唯」がどうやら違う字の様だが達筆過ぎて分からなかった。
縦書きの年月のところも『甲 午 春 分』と読んだのだが最後の「分」の字に自信がない。
『天一』と云う署名は判り易いが、落款の文字は独特で判読が難しかったので、色々な文献を調べてみたら白文印は姓名を表わすとあるので「松旭斎天一」の本名である『服部松旭』と読むことができた。
その下の雅号を表わすという朱文印は「天一」という文字はすぐに判明したのだが、その左側の2文字が読めない。「山 鹿」みたいに読めるがそれでは意味が繋がらない。
色々な落款印の印影を調べている内に、この左側の2文字が各種の落款印に共通していることを発見した。「山」と「鹿」に見えたのは、どうやら「之」と「印」という字のようだ。それで『天一之印』と読めるようになった。
7日に高校の同窓会の役員会が開催されたが、事務局長を務めている教師の方が書道と篆刻の先生なので、これは良い機会だと考えて、額装した写真を持参してこの先生に尋ねたのである。
その場で四文字の最初の字は「唯」ではなく「座」ではないかと読み解いて下さったが「一応最終的に確認するので一日預からせて欲しい」とありがたいことを言って下さった。
今朝ほど電話を下さって最終的に判明したのであった。
四文字の最初の字はやはり「唯」ではなくて『座』という文字で『座 花 酔 月』となる。「花のあるところに座って月を眺めたら気持ち良くなった」というような意味であるという。
年月の文字も『甲午 春分』であるという。来年は奇しくも60年に一度の「甲午(きのえうま)」の年である。書かれた甲午は天一の年齢からすると120年前の明治27(1894)年3月ということになる。
そこで別な文献で明治27年の松旭斎天一の興行年表を調べると3月3〜20日までが東京市の厚生館、3月23日〜4月5日までが東京市・錦輝座で興行を行なっているから、どちらかで客に書いて渡したものではないかと推測できる。
このようにひとつひとつ調べながら想像を膨らませると面白い、この謎解きはとても楽しいひとときであった。