「石澤良昭上智大学教授」
カンボジアのアンコール・ワット遺跡研究で世界的に著名な上智大学前学長の石澤良昭教授(76)=上智大学アジア人材養成研究センター長=は帯広市出身で、生家は西2条通で商店を営んでいたという。帯広三条高校を卒業(1957年)し上智大学に入学。卒業と同時にカンボジアに行って以来、半世紀以上にわたってアンコール・ワット遺跡の研究に携わってきた。
内戦により調査は一時中断したが、内戦が続く1980年には西側の遺跡保存専門家としてカンボジアへ乗り込み、遺跡の荒廃ぶりを報告した。ポルポトによって知識層が虐殺され、遺跡調査の専門家も90%が行方不明となり人材を一から育てる必要があった。
国立アプサラ機構から要請を受けて96年から始まったアンコール・ワット西参道の修復は「カンボジア人による、カンボジアのための、カンボジア遺跡保存修復」を哲学にして、保存官や石工などカンボジア人の人材を養成しながらアンコール・ワット建設時と同じ工法を用いて修復を指導している。
とある国の修復工事は本国から建築家や作業員を招聘し、カンボジア人は下働きをするだけ。工期は短く、効率的にはなるが、これではいつまでたってもカンボジア人に修復のノウハウは伝わらないし、現代工法で修復すると100年保つのがやっとだそうだ。人材養成には時間と費用がかかるが、誇りを醸成するには最善のやり方であろう。
私との出会いは先生が副委員長を務めていた95年の「帯広市大学設置審議会」であった。
翌年から活動を開始した「十勝環境ラボラトリー」のプロジェクト「国際環境大学公開講座」第47回の講師として2000年7月に招聘した際に、同じ三条高、上智大の後輩である浅野祐一氏(浅野カメラ堂オーナー)が聴講し、先生の活動に感銘した氏は自動車の寄贈を申し出、キッカケを作った私が手配をしたという次第。
車は「浅野号」と名付けられ、カンボジアでの贈呈式に私も同行してアンコール遺跡群を先生の説明を受けながら見学する僥倖に浴したのであった。
浅野氏は03年にも石積み用のクレーン車も寄贈しているが、初代「浅野号」がカンボジアの悪路を13年間、地球2周分も走り回ったので去年ついに廃車になってしまった。
先生と同席すると「無私無欲」が伝播するのであろう。昨年末に氏が新しい車の寄贈を申し出たことで、今回も私が手配を請け負ったという次第である。
これこそ正しいお金の使い方だというのを間近で見せてもらった。