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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2014-02-26-Wednesday 取材

東京新宿にある

「生活クラブ事業連合生活協同組合連合会」が約37万人いる組合員の為に発行している「生活と自治」という月刊誌の取材が25日午後にあった。

2005年の秋に「北の屋台」の取材をしてくれて、翌2006年3月号で取りあげてくれたTさんという記者から1月にメールで取材の依頼があったのである。

最初に取材を受けた05年当時はまだ私が専務理事を務めていた時期(07年3月末日退職)であったが、他の雑誌の観点とはまた異なる視線で取材を受けたことを覚えていた。

その後、Tさんは帯広を経由する際には「北の屋台」にも寄っていたと云うし、北海道新聞や十勝毎日新聞などの記事を定点観察していたと云うほど「北の屋台」には深い関心を持って見ていたと言うから嬉しいことである。

そのメールでは、去年の8月の末から「北の起業広場協同組合」が、組合解散を模索したり、解散手続きが法的に難しいことなどもあって、組織自体は存続させながら新しい執行体制を選定する流れにあることを知ったと言う。

私坂本がこの事業から離れられてからかなりの時間が経っているのは知っているが、その離れた時点から、現在に至るまでに、この組合にとても大きな変化があったのだろうと推察している。

新執行体制が決まるのが3月とのことだが「あの北の屋台で一体何があったのか」について、現地取材(帯広)を模索したい。その際には、是非、私にも話を聞きたいと言う。

帯広に来る直前になって2月24、25日の両日に帯広入りするからとの連絡があった。

当初、私は20〜25日まで出張する予定が入っていたので、本来ならこのTさんには会えないはずであったのだが、17日に急な用事が出来てこの出張をキャンセルしたので、逆にスケジュールがポッカリと空いたのであった。その結果、25日の夕方に取材を受けたが・・・。

取材内容はいずれ出版されるであろうから、ここでは詳しく触れないが「8年前に取材した時には、まちづくりのモデルケースとして全国各地に好影響を与え、輝いていた北の屋台の組合が、何故に、この8年間で解散を議題にするようなボロボロの組織に変容してしまったのか?」という疑問を解き明かしたいということなのである。

私も北の屋台に対する自分の思いの丈を1時間ほども話した。

果たしてどのような記事になるのであろうか?