「帯広市の古い市街図が入荷しましたが・・・」と連絡が入った。「昭和4年と6年のモノで、昭和6年の市街図の裏面に坂本勝玉堂さんの広告が載っていますよ」と言う。
昭和6年のモノなら、父は昭和2年生まれだから祖父の勝の時代のものである。結構な値段を言われたが2枚とも購入した。
私は帯広市の古い市街図などもコレクションしているのだ。
地図は折り畳んで仕舞っておくと、見る時に広げて、また仕舞う時に折り畳むことになる。それを繰り返すと、紙が劣化していることもあるが折れ目のところから破れてしまうことがある。
後世にこの貴重な資料を残してあげる為には、キチンと額装して直射日光の当たらない場所に飾っておくのが良いのである。
なるべく多くの人に懐かしく見てもらいたいと思っている。私が死んだら百年記念館にでも寄贈すれば良いと考えているのだ。
今回も弘文堂さんに依頼して素敵な額装に仕上げてもらったのであるが、それが今日13日に届いた。
今回入手した2枚の市街図はこの年代にしては保存状態が良好であった。おそらく購入した人も見ないで長らくそのまま仕舞ってあったのを、所有者が亡くなって、遺族が遺品を整理していたら出てきたので始末に困って古書店に持ち込んだのではないかと推測している。
昭和4年の市街図の西2条南9丁目16番地には何故だか「坂本勝玉堂」の店名が載っていない。代わりにその場所に「眼鏡の文明堂」の店名が載っている。これは父に聞いた話だが「文明堂が火事で店舗を消失させた時に数年間18番地の土地を文明堂さんに貸したことがある」と言っていた。その時の16番地に坂本勝玉堂、18番地に文明堂が写っている写真が私の手元にある。
坂本勝玉堂が載っていないのは、ひょっとすると祖父が掲載料をケチって払わなかったのかもしれない。
昭和6年の市街図には地図にも坂本勝玉堂が載っているし、更に裏面の広告欄にも枠を組んで載っているから、4年の時に店名が載らなかった事に懲りて、今度は広告料金もたくさん払って別枠で載せたのかしらんなんて想像をしてみるのも、こういう古い資料を見る時の楽しさである。
6年の裏面には「国産商」と云う枠に「元祖 十勝石細工各種宝石商 坂本勝玉堂印舗 電一五一 西二ノ九」と載っている。
以前にコピーしてもらった大正4年の市街図裏面の広告には西2条4丁目で坂本勝玉堂が載っている。何とかこれの現物を手に入れたいと思っている。