«前の日記(■2014-07-06-Sunday) 最新 次の日記(■2014-07-08-Tuesday)»
 | トップ |  | ビル概要 |  | テナント構成 |  | 沿革 |  | アクセス |

観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2014-07-07-Monday コンピュータ

札幌の映画館で観た「her」と云う

映画の夢をみてウナサレてしまった。

「her」と云う映画はコンピュータのOSが感情を持つストーリーなのだが、SF映画では感情というか意識を持つコンピュータとして、スタンリー・キューブリック監督の「2001年宇宙の旅」に出て来る「HAL」や、シュワルツェネッガー主演の「ターミネーター」の「SKYNET」などが有名であるが・・・。

コンピュータが感情を持っても、0と1のデジタルで処理するから「是」か「非」か「黒」か「白」かと云う二者択一の選択肢しかなくて、中間とか中庸とかが無いのではないかと思っていたが・・・。

どうやらこれは古い考えらしい。

スーパーコンピュータのような単体のコンピュータがいくらデータを膨大に蓄積しても、出す結論は是か非かでしかなさそうというのがこれまでの考え方だったそうだが、インターネットで世界中のコンピュータが繋がる時代になると事情が違ってくるというのである。

私はコンピュータの事には疎いのであるが、どうも人間の脳と同じ様な働きを獲得するかもしれないという説があるらしい。

人間の脳はニューロン(神経細胞)の神経と神経の間を電気信号が飛び交って繋がることで意識が生じると言う。

その脳の構造と同じ様に、インターネットで世界中のコンピュータが繋がることで意識が生じる可能性があるというのである。

つまり「意識が生じる時にはニューロン間に電気信号が飛び交う」のではなくて「ニューロン間に電気信号が飛び交うことで意識が生じる」という因果関係を逆転させた考え方があるそうなのだ。

もしも、それが真実で、もしもそれが現実になったら恐ろしいことだ。

人間は自分の感情が99%対1%という状況であっても、その1%にこだわってしまう人間もいる。それだからこそ人間らしいともいえるのだが、コンピュータがいくら意識を持ったとしても、その判断基準が51%対49%であっても、あっさり51%の方を選ぶであろう。

A論とB論の間を取って・・・なんて芸当は出来ないに違いない。

最近のアメリカのSF映画に多いテーマがまさにこれである。

コンピュータに非情にも分けられてしまったら、この社会は一体どうなってしまうのだろうか?

コンピュータが感情を持ってしまったことに気が付いて、慌ててそのコンピュータを破壊しようとしても、すでにコンピュータに世界が支配されていて、それが出来ない状況になるかもしれない。

予想では2020年頃にそれが現実化するかもしれないと云うのだ。2020年と云えば東京オリンピックの開催される年で、たった6年後ではないか。

自分が生きている間にそんな事態になるなんて考えただけでも何だか怖いなぁ〜。

あまり便利にし過ぎると手痛いしっぺ返しが待っているかも・・・。