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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2014-07-08-Tuesday 古代史

最近、日本の古代史にハマっている。

お気に入りは関裕二氏の説である。関氏は私より一歳年下なのであるが独学で古代史を学んだらしい。

これまでの日本の古代史の研究では、専門家と云われる学者の説はとてもつまらないし、考え方が杓子定規でしかも現代人の感覚であるところがオカシイ。

私が高校生の頃から、梅原猛氏などの古代史の門外漢による新説が出始めたが、その方が魅力的だし真実に近いような気がしていた。

週刊ポストで井沢元彦氏の新説が展開された頃から刺激を受けていたが、過去の歴史家たちは「怨霊」とか「言霊」と云う日本独特の宗教観を軽く見過ぎていた。

陰謀や謀略などによって罪なくして抹殺された人の恨みが怨霊となって祟ると云う考えだ。

現代人は「怨霊」なんてそんな馬鹿な!と考え勝ちだが、当時の人たちはそれを心底信じていたのだから、政治姿勢や生活態度が怨霊信仰に影響されるのは必至である。当時の人たちの「怨霊」に怯える心境になって考察する必要がある。

諡名に「聖」「神」などと付く人物は何等かの「恨み」を持って死んだというのもそのひとつだ。

「祟らない」ように神様として丁重に祀らなければ「祟る」のである。

「祟り」を恐れるということは、逆に言えば「祟られる」ような後ろめたいことをしたからであり、陰謀や謀略などの後ろめたいことをしていなければ「祟られる」心配はないはずなのだ。

この人間心理面の研究がこれまでの古代史では不十分であった。

出雲大社に祀られている「オオクニヌシノミコト」も「祟り」を恐れて祀られている。しかも東大寺の大仏殿よりも大きな建物を造ってである。

つい先年に出雲大社から発見された太い3本の樹を括りつけて、更に太い1本の柱にした遺跡が出てきた。これまで単なる伝承と思われていた出雲大社は超高層建築だったという話が真実であった可能性が出てきたのである。

「聖徳太子」も実在しなかったと云う可能性が出てきたし、蘇我入鹿は善人であった可能性が強いと云う。

「古事記」や「日本書紀」を編纂させた藤原不比等が、藤原氏に都合が良いように歴史を改ざんした可能性が高いのだというのが定説になってきた。

関氏はこの辺りの謎解きを実に見事にしているのだが、非常に面白くて夢中になって読んでいる。

これまでの日本の歴史が大きく変わる可能性があるのではなかろうか。