創成期のことで取材に伺った広橋保さんが7日早朝に亡くなった。
今年の4月27日(日)に父の23回忌法要(5月2日命日)を行なったが、その際に母のところに広橋さんから「坂本ダンスホールの創成期のことを和昭ちゃんに伝えておきたい」と電話が入ったので、早速5月9日に広橋さんのお宅に取材に行ったのだった。
その取材した内容をすぐにまとめて、私が担当する5月19日(月)掲載分の十勝毎日新聞の「論壇」欄に載せたのであった。
広橋さんからは「よくまとまっていた」と喜びのお電話をいただいたばかりであったが・・・。
取材の際にも何度か「俺はもう長くないから死ぬ前に和昭ちゃんに坂本ダンスホール開業秘話を話しておきたかったんだ。おかあさんは(私の母)は昭和30年に留萌から嫁いで来たから、昭和25年開業のダンスホールのことは詳しく知らない。今話しておかないと誰も知らないままになってしまうから・・・」と言って、酸素吸入をしながら2時間近くも話してくださったのであった。
聞かされた話はまさしく秘話であった。私はダンスが大好きだった父が、頑固な祖父をなんとか説得して、ダンス教師の免許を自分から欲して取得しに行ったのだと思い込んでいたのだが、実際はダンスはこれから流行ると目を付けた祖父が父や広橋さんら3人を札幌に行かせてダンス教師の免許を取得させたのだという話は驚きであった。
通夜には母と私と妹の3人で出席することにした。
その前に、午後1時からは妻と2人で墓掃除に行った。掃除もサッサと済ませるつもりでいたのだが、行ってみると墓石にコケやカビのようなものが付着している。持参したタワシで擦ってみたら結構水だけでも落ちるので汗だくになりながらも坂本家と妻の実家の2つの墓をキレイにしてきた。
汗でシャツはビチャビチャになるし、おまけにタワシの飛沫が服に掛かってかなり服が汚れてしまった。しかし、その分墓石の汚れが落ちたのでかなり満足したのであった。でもこれ以上キレイにするには専門家にやってもらうしかないだろう。
墓周りの草取りも腰が悪い私にとっては結構な重労働であるが、ご先祖様に感謝する気持ちを表わさす為にも頑張ったのであった。
広橋さんのお通夜は、初めて行く葬儀場である。カーナビが上手く機能しなくて周りをグルグル回ってようやく見つけた。この辺りは1丁の大きさが市内中心部の5丁分もあるから、とにかく広くて分かり難いのである。帯広市の行政も丁目の区画の大きさを統一した方が良いのに・・・。
通夜の席で、娘さんから「先日の新聞記事は父もとても喜んでいました。ありがとうございました」とお礼を言われた。ギリギリのタイミングで取材して書けたので私も本当に良かったと思う。
天国でまた父と一緒にダンスでもしてほしいと思う。
ご冥福を祈る。合掌